日本死の臨床研究会

今日高崎で開かれた「日本死の臨床研究会関東支部研究会」のテーマは、「子供の死、大人の死」。

 いつもこの会に参加して、ターミナルケアに取り組んでいる方々の熱意に頭が下がるとともに、現場が抱える悩みの深さにおののく。
死期が近い子供たちが「家族と自宅で過ごす」ことのメリットの大きさと、しかし医療現場においてそれを実現することがいかに難しいか、よく理解できた。
 
今日のセミナーで拾った珠玉の言葉を思い出してみると、
〇逝こうとする子供たちは、残される者たちに何らかのテーマを残していくように思うんですね。
〇亡くなる前にAちゃんは自宅に帰り、お父さんとお母さんと一緒に川の字で寝ました。こんな思い出が物語として、残された者たちを支えていくんだと思います。
〇子供の死にどう向き合うかは、私たち自身の生き方を問うことでもあるんです。

講演者が涙で声が詰まり、少し中断すると、会場から「頑張れ」という声なき声が聞こえるよう。会場も涙を流しながら耳を傾ける。
重い課題だががんばって往復6時間かけて鎌倉から高崎まで行って良かった。

人生の目覚まし時計が鳴ったとき

先日、胃がん闘病の末25歳で亡くなった山下弘子さんの手記。

いわゆる、苦しい苦しい治療を戦う「闘病記」ではない。余命宣告された若い女性の日常の生活と心模様が淡々と描かれているが、正直、今の自分の半分しか生きることができなかった彼女に、こんなに教えられ、勇気づけられるとは思わなかった。

あちこちにアンダーラインが引かれた本をもう一度紐解き、改めて彼女が懸命に生きようとした日々を思う。
「幸福かどうかは私の心が決める」
「残された日々を一日たりとも不幸な日にしない」
といった彼女のことばを反芻してみる。

「まあこんな日もあるさ」、
「さえない一日だったがまあいいか」
といった気分で日々を送っている自分がいかに人生を浪費しているか教えられる思いだ。

彼女にとって余命宣告は、カウントダウンが始まったことを告げる「人生の目覚まし時計」だったという。

考えてみれば人は誰でも毎日がカウントダウン。

私もいつまでも眠っている場合ではない。

親愛なる子供たちへ

ずっと更新を怠っていました。すみません。

読書日記から。

今日読書していて(大津秀一「傾聴力」)、久しぶりにこの詩に出会ったが、改めて読んでみると歌にして聞いたとき以上に詩が心に染みたので。

介護というのは、自分が子供の時に親がしてくれたことと同じなんだな、と。父にもう少ししてあげられることがあったのでは、と思ってしまう。


手紙 〜親愛なる子供たちへ〜
【原作詞】不詳
【日本語訳】角智織
【作曲】樋口 了一

年老いた私が ある日今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しいことではないんだ 消え去って行くように見える私の心へと励ましのまなざしを向けてほしい

楽しいひと時に私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
あなたを追い回し何度も着替えさせたり様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを
悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り飲み込むことさえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたがか弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私にどうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい

きっとそれだけでそれだけで私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ

世界40か国以上も訪れたのに、アメリカだけはハワイも含めて行ったことがなかった。
別に一生行かなくても良いと思っていた。

が、今月、遂に行くことになってしまった。
ワシントン。

日曜日に到着したので、翌日の月曜日まで少し見て回る機会があった。

何と言っても一番印象に残ったのは、スミソニアン航空宇宙博物館。

B29の大きさに圧倒された。
その大きな翼の下に、組み伏せられるように展示されている「桜花」など、日本の戦闘機だ。

制空権を失ったところに、小さな日本の戦闘機の行けないような高い上空にこんなでかい飛行機が侵入されたらひとたまりもなかっただろう。

次にスペースシャトルDiscovery号。実機だ。

タイル表面がところどころ真っ黒になっていたり、剥離しているところもあり、大気圏突入時の激しさ、生々しさが伝わってくる。

まさに、科学技術による宇宙への挑戦という課題の難しさを見る思いだ。

「沈黙」を見る

遠藤周作による原作の素晴らしさを知っていた私は、公開前からこの映画を楽しみにしていた。

そして、遂に観た。

なかなか辛いシーンが多かったのは、信者たちが信仰ゆえに処刑されたり過酷な運命にさらされているのに、なぜ神は沈黙しているのか、という映画の重いテーマゆえ。宣教師のみならず、信仰を守り通した日本の隠れキリシタンへの強いrespectを感じた。

棄教する「弱い人間たち」への温かい眼差しも。特に「転ぶ」という表現から、神への忠誠や宗教とは何か、を考えさせられた。

特に、人間の弱さを一身にまとった「キチジロー」の存在がこの映画の神髄だ。彼はその弱さゆえ、精神的には司祭たちの「師」であった、と感じた。

http://chinmoku.jp/

イコノグラフを読む

若くして逝ってしまう女生徒、倉島真希、真希の友人の川村光音、羽根恍希、そして彼らの学校の教師である筒井舞衣が織り成す物語。愛と死、親子愛、様々な愛の形が、天文時計、鍵、ワタリガラス、ロザリオ、靴、サロメの劇、フォトフレーム等々、多くの印象深いアイテムとともに縦横無尽に語られる。読者は何重にも入り組んだ伏線の迷路をたどることになる。謎解きの方位磁石として与えられた数々の聖書の言葉を頼りに。舞衣はじめ、登場人物は何かしら、闇を抱えたり、迷路の中で道を失いかけたりしていて、彼らと一緒に旅することになる。読者は読むたびに新しい驚きや発見を見つけるだろう。

私が出会った最も気にかかった言葉は、シモーヌ・ベイユの「神は私たちのところに来ようとして、世界の厚みを超えてくる・・・・」。私にとって、この言葉の謎解きはこれからだ。

物語は光音、恍希、教師の舞衣を中心に進んでゆくが、私にとって、舞衣と夫の時田の関係が最も印象に残った。愛がなさそうな関係に見えた二人が、新しい局面を迎えて今後どのように時を紡いでゆくのだろうか。

この物語を読んでいる間、通奏低音のように、私の耳にはバッハの音楽が聞こえていた。ある時はマタイ受難曲、ある時はG線上のアリア、ある場面ではゴルトベルク変奏曲。心地よい音楽と意味深な哲学や聖書の言葉を噛みしめながら、何年かして改めて主人公たちの愛と生の物語に浸ってみたいと思う。きっと違った世界が見えると思うから。

https://www.amazon.co.jp/Icon-o-graph-Chris-Kyogetu/dp/153493037X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1487380014&sr=8-1&keywords=icon+o+graph

流星落下伝説のある街、美星

昨年末に訪れた岡山県井原市美星町。星の美しい街で知られ、美星天文台で10時の閉館まで様々な星々を堪能した。天文台の隣にはスペースガードセンターがあり、人工衛星に障害を起こす宇宙デブリや、地球軌道に入り込む小惑星を365日監視している。

ところで、美星町に来て偶然知った、この地に伝わる流星落下伝説。800年前の鎌倉時代、流れ星が3つに分かれて落下。3つの落下地点はそれぞれ神社になり、その一つが星尾神社。近くには「星尾大明神降神の地」の碑があり、字名は黒田という。星が落ちて来た時田んぼが真っ黒に焼けたから、と言う。まるで、今大人気の映画、「君の名は」を彷彿とさせる伝説なのだが、映画の聖地巡りに便乗して町おこしを、という気は地元ではさらさらないらしく、レンタカーで星尾神社を発見するまで行ったり来たり、1時間を要した。もったいない気がする。