生存する意識~植物状態の患者と対話する~ エイドリアン・オーエン

いわゆる植物人間となった人の意識状態を探るプロジェクト。fMRIなど脳科学に用いる技術の発展は、まずはYES、NOの応答を患者から引き出すことに成功した。何割かの植物状態の患者は、患者に向けて発せられたメッセージが「聞こえている」だけでなく、「理解…

亡命者の古書店 続・私のイギリス物語 佐藤優

元外務省主任分析官・佐藤優氏の新人時代の英国留学時の記録。チェコの神学者「フロマートカ」を巡り、ロンドンに亡命したチェコ人の古書店主とのやり取りが描かれる。誰にでも経験があるのではなかろうか。大学を卒業し、社会に飛び込んだ時に感じる自分の…

悼む人

上下巻という決して短くないに本に詰め込まれた多くの「死」のかたち。「悼む人」と呼ばれる静人は、野宿をしながら全国の事件事故の現場を訪ね、死者への悼みを繰り返す、という人生を送っている。なぜこんな旅を続けているのか、本人にもわからない。 状況…

生と死の境界線「最後の自由」を生きる 岩井寛/松岡正剛

思うところがあり、30年ぶりに再読。がんに侵され、余命宣告された精神科教授である岩井寛氏に対して、死に至るまでの間ずっとインタビューを継続し、思考と精神的な状況、教授を苛む肉体的な変化を追った書。伴走する松岡正剛氏もまた、実験的な取組みに立…

こどもホスピスの奇跡 石井光太

「先生、この子治らないのなら家に連れて帰ります」 何度か小児医療の現場に関わったことがある。また、死の臨床研究会の参加等を通じて自分なりに「ホスピス」の在り方を学んできた。ホスピスは終末期医療の文脈では、ほどなくして亡くなる方のための施設と…

人生の不思議 立川昭二

「帰りたいのは場所でなく時間」 医学史を軸に歴史や人生に関する味わい深い洞察を示してくれる著者が好きで何冊も読んできたが、今回も期待通り素晴らしいエッセイ集だった。特に気に入ったのが、「帰りたい"原時間"」老人ホームに入っていた認知症のご婦人…

読書 こんな夜更けにバナナかよ 渡辺一史著

札幌に実際した筋ジストロフィー患者、鹿野靖明氏と彼を支えたボランティアの実話で、数年前大泉洋主演で映画化された。素晴らしい映画だったが、本日原作を読み終え、映画以上に考えさせられた。筋ジストロフィーという難病に侵された主人公とそれを支える…

 介護民俗学という希望 六車由美著

「聞き書きは単なる傾聴ではない、聞き手と話し手の真剣勝負であり、過去を掘り起こすことで真剣に老人の人生に向き合い、死に向かって寄り添い伴走することであるとともに、人が老いていくことの在り方や意味を考える深い営みではないか。」 素晴らしい本を…

人魚の眠る家

【ネタバレです】 脳死と心臓移植。失われる命と新しく生まれ変わる命。脳死は死か否か。現状の日本は、それは本人の意思と遺族が決めること。まだ温かく、反応もある娘を死んだものとして認めることができない母。最先端の科学技術によって、娘は神経ネット…

こんな夜更けにバナナかよ

「生きることは人に迷惑をかけること」 「障碍者は親兄弟が面倒を見るもの」という常識を変えたい」 「病院に縛りつけられるのではなく自由に生きたい」 筋ジストロフィー患者として42歳の人生を全うした実在の鹿野氏がモデル。 筋ジス患者であっても夢があ…

生と死のミニャコンガ

最後まで一気に読ませる、すごい本だった。 1981年、中国、ミニヤコンガ峰登頂に挑んでいた著者一行を襲った滑落事故。8名の仲間達を一瞬に失い、自身もクレバスに落ち込んだり死とスレスレの体験をする。 「生き残った者」としての十字架を背負い、現れる仲…

NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を観て

重いので関心のない方、気分が塞いでいる方は読まないで下さい。あと、ネタバレが嫌な方も。 体調不良で久しぶりの自宅で過ごした休日、溜まったテレビの録画を見て衝撃を受けたのがこの番組。難病に陥った通訳の女性が、日々の苦しみ、オムツ換えなどを生涯…

再起動 リブート 斎藤徹

1日で一気に読了。29歳で日本IBMを飛び出して、ダイヤルQ2ビジネスを手始めに、ベンチャー企業の走りとして浮き沈みの激しい人生を走り抜けた記録。銀行の貸し剝がし、裁判、仲間の裏切り、自宅の差押えなどの修羅場を潜り抜けても、社会との繋がりを模索し…

信仰と医学〜聖地ルルドをめぐる省察〜 帚木蓬生著

ルルド。南仏、ピレネー山脈のふもとに位置する街。少女ベルナデットが来臨した聖母マリアに会った奇跡の町として有名なこの街に、大雨の中、私がたどり着いたのは10年くらいの5月だった。最初は、ずらっとホテルが立ち並び、土産物屋がずらっと夜遅くまで蛍…

春楡の木陰で 多田富雄著

良い本に出会えてよかった、と久しぶりにしみじみ思った。免疫学の泰斗、多田富雄氏のエッセイ。脳梗塞で半身不随になってから書かれたもの。氏の若き日のデンバーでの青春時代。場末のバーで、飲んだくれの客やバーテンたちの交流、中華料理店のウェイトレ…

「お前はサラリーマンだろ」

10月28日の「下町ロケット」を見ていて、このセリフにしびれた。心臓発作の手術に付き合うため、経理部長としての大事な仕事を部下に任せて手術に付き合おうとした息子に対して、父が投げかけた言葉だ。「お前はサラリーマンだろ。大事な仕事があるんだろ。…

メルボルンにて

仕事でインドネシア、シンガポールとまわり、メルボルンに来た。 27年ぶりのオーストラリア。メルボルンは初めてだ。町を歩いている人たちの半分以上はアジア系だろうか。住みやすそうな街だな、と思う。少し時間があったので、トラムに乗ってみた。春の景色…

半分、青い

テレビのことをここに書くのは初めてではないか。 途中から見だしたNHKの朝の連ドラ。3か月くらいしか見ていないが、特に亡くなった人の描き方の温かさが良かった。 最終週は、珠玉のセリフのオンパレード、メモを取っていなかったのが惜しい。それでも記憶…

自然は過酷だ

4月に訪問した山梨県の山奥の自然観察園。 ビジターセンターでは、センター近くにかけた巣箱でのシジュウカラのつがいの生活が小屋の中に仕掛けたビデオカメラを通じて観察できるようになっていた。巣の中にはいくつかの卵があり、出入りするつがいのシジュ…

日本死の臨床研究会

今日高崎で開かれた「日本死の臨床研究会関東支部研究会」のテーマは、「子供の死、大人の死」。 いつもこの会に参加して、ターミナルケアに取り組んでいる方々の熱意に頭が下がるとともに、現場が抱える悩みの深さにおののく。 死期が近い子供たちが「家族…

人生の目覚まし時計が鳴ったとき

先日、胃がん闘病の末25歳で亡くなった山下弘子さんの手記。いわゆる、苦しい苦しい治療を戦う「闘病記」ではない。余命宣告された若い女性の日常の生活と心模様が淡々と描かれているが、正直、今の自分の半分しか生きることができなかった彼女に、こんなに…

親愛なる子供たちへ

ずっと更新を怠っていました。すみません。読書日記から。今日読書していて(大津秀一「傾聴力」)、久しぶりにこの詩に出会ったが、改めて読んでみると歌にして聞いたとき以上に詩が心に染みたので。介護というのは、自分が子供の時に親がしてくれたことと…

世界40か国以上も訪れたのに、アメリカだけはハワイも含めて行ったことがなかった。 別に一生行かなくても良いと思っていた。が、今月、遂に行くことになってしまった。 ワシントン。日曜日に到着したので、翌日の月曜日まで少し見て回る機会があった。何…

「沈黙」を見る

遠藤周作による原作の素晴らしさを知っていた私は、公開前からこの映画を楽しみにしていた。そして、遂に観た。なかなか辛いシーンが多かったのは、信者たちが信仰ゆえに処刑されたり過酷な運命にさらされているのに、なぜ神は沈黙しているのか、という映画…

イコノグラフを読む

若くして逝ってしまう女生徒、倉島真希、真希の友人の川村光音、羽根恍希、そして彼らの学校の教師である筒井舞衣が織り成す物語。愛と死、親子愛、様々な愛の形が、天文時計、鍵、ワタリガラス、ロザリオ、靴、サロメの劇、フォトフレーム等々、多くの印象…

流星落下伝説のある街、美星

昨年末に訪れた岡山県井原市美星町。星の美しい街で知られ、美星天文台で10時の閉館まで様々な星々を堪能した。天文台の隣にはスペースガードセンターがあり、人工衛星に障害を起こす宇宙デブリや、地球軌道に入り込む小惑星を365日監視している。とこ…

寿福寺のお墓巡り

近所の寿福寺の墓地を散歩。観光客に北条政子や源実朝のお墓を案内していると、俳人、高濱虚子の45歳年下の愛弟子、結核で29歳で逝った森田愛子のお墓を見つけた。実はずっと探していたのだった。 療養のために鎌倉を離れて福井に帰郷した愛子を虚子が訪ねる…

次は自分だ

父を亡くした。 死の知らせを受けて家族を連れて慌ただしく大阪に戻り、通夜、告別式に臨んだのが1か月ほど前。長いこと寝たきりで、秋になってからは医師にもう長くないと聞かされていたので、覚悟はしていたし、亡くなる一週間ほど前には日帰りで大阪に戻…

雲は答えなかった

「海街ダイアリー」や「そして父になる」といった映画が有名な是枝監督が書いたドキュメンタリー「雲は答えなかった」を再読。1990年、水俣病の担当局長として随行予定だった、環境大臣の水俣入りの日に自ら命を絶った、山内豊徳 環境庁企画調整局長の生涯を…

日本死の臨床研究会年次総会に参加する

札幌で開催された2016年度の日本死の臨床研究会年次総会に参加した。会員になって初めての年次総会参加であったが、生と死について、2日間様々に考えを巡らせることができた。印象に残ったのは、 〇日本のホスピスのパイオニアとして、数千の看取りに立ち会…