人生の不思議 立川昭二

「帰りたいのは場所でなく時間」
医学史を軸に歴史や人生に関する味わい深い洞察を示してくれる著者が好きで何冊も読んできたが、今回も期待通り素晴らしいエッセイ集だった。特に気に入ったのが、「帰りたい"原時間"」老人ホームに入っていた認知症のご婦人が「帰りたい」と言う。自宅に連れ戻してもやっぱり「帰りたい」と。では、ということで実家に連れて行っても、「帰る」と言ってどこかに行こうとする。果たしてこのご婦人が帰りたい場所はどこか、という話。それは場所ではなく、「時間」、ご婦人が主婦として生き生き働き子育てしていた「時間」。その時間に帰ればまた自分が生き生きとした時代に立ち返れる、と信じてそこに帰ろうとしているのではないか。夫婦の絆とは、場所を共有した時間ではなく、互いがどこまで一幕一場積み上げられた「原時間」を共有していることではないか、と著者はいう。
 もうひとつ気に入ったのが、「時間を深く生きる」。時間は直線的でなく、その時の感じ方次第で曲線的に深く時間が掘り込まれていく、また、砂時計で下に落ちていく砂は過ぎ去った時間であるがそれは消えていったのではなく蓄積されているではないか、と著者は言う。ここから私のイメージは膨らむ。人間誰しも一定の量の砂を与えられているとしたら、100年かけてゆっくり落とすか、30年で一気に落とすか、の違いではないか? 人間の死と再生は、砂時計を逆さまにすることではないか? と。