悼む人

 上下巻という決して短くないに本に詰め込まれた多くの「死」のかたち。「悼む人」と呼ばれる静人は、野宿をしながら全国の事件事故の現場を訪ね、死者への悼みを繰り返す、という人生を送っている。なぜこんな旅を続けているのか、本人にもわからない。

 状況設定がかなり特殊であり、静人に深くかかわる人間の抱える事情もかなり特殊。なかなか感情移入しにくい。それでも映画化されるように支持されたのは、静人が、個々の死者が死に至った理由や背景(どんなに悲惨な亡くなり方をしたか、悪い奴にひどい殺され方をしたか等)について問うことなく、どのような理由で死に至ったとしても、死者が生前どのように他人と関わりどのように愛されていたか、を知ろうとし、それを考えて悼む。悲惨な死に方をしたから、薄幸な人生だったから、という理由で悼むのではない。死者がこの世に存在していたこと、そのこと自体を胸に刻むようにして、悼む。それは冥福を祈る、という形でもない。「そんな風に愛されていたあなたが生きていたことを私の胸に刻んでおきます」という悼み方である。しかし、そのような人間の存在は、否応なく死に追いやられた人間にとって唯一の救いであり、彼にだけはきっと後で自分を悼んでくれるだろう、彼だけは自分のことをずっと憶えておいてくれるだろう、と思って死んで行ける存在になった、ということだと思う。

 考えてみれば、「冥福を祈る」とはどういうことなのだろう。冥界での福を祈るのではなく、「あなたのことをずっと忘れないよ」というのが本当の悼みなのかもしれない。他人であっても、ただただ、人間存在そのものの意味を、自らを空しくする中で胸に刻む。そんな悼み方があることを初めて知った。