長崎、そしてポルトガル

yula3552007-06-06

今日は長崎の出張があったのだが、どうしても行けず、同僚に代わって行ってもらった。

長崎といえば、昨年訪問した長崎歴史文化博物館を思い出す。当時開催されていた、天正少年使節団をテーマにした企画展「ローマを夢見た美少年」が強く印象に残っている。

 2000年の冬、ポルトガルリスボンの西約200キロの中世の街並みが美しい「エボラ」という街で、市の中心の大きな教会のガイドブックに目を疑った。400年前に来た日本の少年使節が弾いたパイプオルガンが現存して教会にあるという。その少年使節こそ、伊東マンショ、千々岩ミゲルなどの天正少年使節団であった。
 私は午後のゆるやかな日がさす教会の中でその大きなパイプオルガンと鍵盤を見ながら、はるか400年前にこのオルガンを弾いた少年達のことを想った。1582年に長崎を出発、2年かけてポルトガルに到着、ローマに向かう途中、少年達はこのポルトガルの街に立ち寄り、そしてこのオルガンを弾いたのだ。
 彼らはその後ローマで教皇グレゴリウス13世に謁見、博物館にはグレゴリウス13世の末裔宅から最近発見された(それ自体すごいことであるが!)伊東マンショ肖像画が展示されていた。
 しかし、教皇の謁見前後に描かれたその絵には、そのような高揚感はなく、むしろ、何かしらもの悲しい感じすら受けた。彼は日本帰国後43歳という若さで早世したが、それはまだキリシタン禁教令の前ということで、生きながらえた千々石ミゲルは弾圧の前に転向、中浦ジュリアンは殉教(刑死)したらしい。何かそのような運命が肖像画に暗示されているような絵であった。

 長崎はとても好きな街である。仕事とはいえ、行けなかったのは本当に残念で、またの機会を待とう。