生存する意識~植物状態の患者と対話する~ エイドリアン・オーエン

いわゆる植物人間となった人の意識状態を探るプロジェクト。fMRIなど脳科学に用いる技術の発展は、まずはYES、NOの応答を患者から引き出すことに成功した。何割かの植物状態の患者は、患者に向けて発せられたメッセージが「聞こえている」だけでなく、「理解している」ことがわかったのだ! 患者からすると「スキャンが私を見つけてくれた」のだが、良いことばかりではない。これを患者家族に告げることの意味、そして、研究プロジェクトの終わりが、当該患者にとつては、「無人島に漂着した遭難者に気づきながらそのまま通過していく船」となり、かえって絶望を深くさせるのではないか、と思い悩む。

高校生の頃に、和歌山県田辺市の病院で、植物人間になった妻の病床に30年間ずっと寄り添い、妻より先に夫が亡くなったという新聞記事を読んで、まさに英雄は人知れず市井の人の中にひっそりと存在しているのだと感動したことを思い出す。もしその妻が、このように意識があったのであれば、その30年間は不幸な中でもかけがえのない時間だったのではないか、と一筋の救いを感じる。このような研究の一層の発展を願ってやまない。

生存する意識 | みすず書房 (msz.co.jp)

亡命者の古書店 続・私のイギリス物語 佐藤優

元外務省主任分析官・佐藤優氏の新人時代の英国留学時の記録。チェコ神学者「フロマートカ」を巡り、ロンドンに亡命したチェコ人の古書店主とのやり取りが描かれる。誰にでも経験があるのではなかろうか。大学を卒業し、社会に飛び込んだ時に感じる自分のやりたいことと、目の前の現実とのギャップ、将来への不安。その中で、自分がどう生きていくか、亡命者という厳しい現実を生きている古書店主や、留学先で共に学ぶ若き英国海軍軍人との会話の中で、自らの位置を見出す。私も時々考える。自分の召命とは何か、運命はあるのかと。この本は、そのような思索に一石を投じてくれた。

 それは「ある」のだ、と。

悼む人

 上下巻という決して短くないに本に詰め込まれた多くの「死」のかたち。「悼む人」と呼ばれる静人は、野宿をしながら全国の事件事故の現場を訪ね、死者への悼みを繰り返す、という人生を送っている。なぜこんな旅を続けているのか、本人にもわからない。

 状況設定がかなり特殊であり、静人に深くかかわる人間の抱える事情もかなり特殊。なかなか感情移入しにくい。それでも映画化されるように支持されたのは、静人が、個々の死者が死に至った理由や背景(どんなに悲惨な亡くなり方をしたか、悪い奴にひどい殺され方をしたか等)について問うことなく、どのような理由で死に至ったとしても、死者が生前どのように他人と関わりどのように愛されていたか、を知ろうとし、それを考えて悼む。悲惨な死に方をしたから、薄幸な人生だったから、という理由で悼むのではない。死者がこの世に存在していたこと、そのこと自体を胸に刻むようにして、悼む。それは冥福を祈る、という形でもない。「そんな風に愛されていたあなたが生きていたことを私の胸に刻んでおきます」という悼み方である。しかし、そのような人間の存在は、否応なく死に追いやられた人間にとって唯一の救いであり、彼にだけはきっと後で自分を悼んでくれるだろう、彼だけは自分のことをずっと憶えておいてくれるだろう、と思って死んで行ける存在になった、ということだと思う。

 考えてみれば、「冥福を祈る」とはどういうことなのだろう。冥界での福を祈るのではなく、「あなたのことをずっと忘れないよ」というのが本当の悼みなのかもしれない。他人であっても、ただただ、人間存在そのものの意味を、自らを空しくする中で胸に刻む。そんな悼み方があることを初めて知った。

生と死の境界線「最後の自由」を生きる 岩井寛/松岡正剛

思うところがあり、30年ぶりに再読。がんに侵され、余命宣告された精神科教授である岩井寛氏に対して、死に至るまでの間ずっとインタビューを継続し、思考と精神的な状況、教授を苛む肉体的な変化を追った書。伴走する松岡正剛氏もまた、実験的な取組みに立ち会いながら、死に直面する教授にどのように接すべきか悩みつつ、筆をつないでいく。

 「がんが脳を侵したら自分が自分でなくなるかもしれません」そんな状態になっても自分を記録してほしいという、学問に殉ずるような教授の信念と気迫には脱帽である。

「最後の自由」は、岩井教授の信念であり本書を貫くメッセージ。肉体的にどんなに過酷な状況にあっても人間の内面は自由であり、納得できる生き方を追求する自由は残されているのだ。特定の宗教観を持たない教授は、人間は死ぬと「空無の世界」に行くという。それが何なのかはよくわからないし、最期までわかるものではないと思うが、最期まで精神の自由を持ち続けることができる、というメッセージは大いに救いになると感じた。

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こどもホスピスの奇跡 石井光太

「先生、この子治らないのなら家に連れて帰ります」
何度か小児医療の現場に関わったことがある。また、死の臨床研究会の参加等を通じて自分なりに「ホスピス」の在り方を学んできた。ホスピスは終末期医療の文脈では、ほどなくして亡くなる方のための施設と捉えられることが多いが、大阪に誕生した「TSURUMIこどもホスピス」は、難病に侵された子供たちとその家族ができるだけ楽しく、思い切り趣味や勉強に打ち込める施設として誕生した。もちろん、延命治療でなく、最期の日々を家族とともに思い出を作る場としての機能もあり、延命に重点が置かれていたり、半強制的に親が付き添うことが求められたこれまでの小児医療の考え方を変えつつあると言っても良い。子供に対する余命の告知など難しい問題もある。健康な子供たちと異なり、重病の子供たちは勉強できる時間を渇望しており、勉強することは大切な生きがいであり、学ぶ場としての意味も大きい。当事者たちの熱意でできたこのような好例が、もはや「奇跡」と呼ばれることなく、どの地域でも享受できるようになって欲しい。
 
 

人生の不思議 立川昭二

「帰りたいのは場所でなく時間」
医学史を軸に歴史や人生に関する味わい深い洞察を示してくれる著者が好きで何冊も読んできたが、今回も期待通り素晴らしいエッセイ集だった。特に気に入ったのが、「帰りたい"原時間"」老人ホームに入っていた認知症のご婦人が「帰りたい」と言う。自宅に連れ戻してもやっぱり「帰りたい」と。では、ということで実家に連れて行っても、「帰る」と言ってどこかに行こうとする。果たしてこのご婦人が帰りたい場所はどこか、という話。それは場所ではなく、「時間」、ご婦人が主婦として生き生き働き子育てしていた「時間」。その時間に帰ればまた自分が生き生きとした時代に立ち返れる、と信じてそこに帰ろうとしているのではないか。夫婦の絆とは、場所を共有した時間ではなく、互いがどこまで一幕一場積み上げられた「原時間」を共有していることではないか、と著者はいう。
 もうひとつ気に入ったのが、「時間を深く生きる」。時間は直線的でなく、その時の感じ方次第で曲線的に深く時間が掘り込まれていく、また、砂時計で下に落ちていく砂は過ぎ去った時間であるがそれは消えていったのではなく蓄積されているではないか、と著者は言う。ここから私のイメージは膨らむ。人間誰しも一定の量の砂を与えられているとしたら、100年かけてゆっくり落とすか、30年で一気に落とすか、の違いではないか? 人間の死と再生は、砂時計を逆さまにすることではないか? と。
 

読書 こんな夜更けにバナナかよ 渡辺一史著

札幌に実際した筋ジストロフィー患者、鹿野靖明氏と彼を支えたボランティアの実話で、数年前大泉洋主演で映画化された。素晴らしい映画だったが、本日原作を読み終え、映画以上に考えさせられた。
筋ジストロフィーという難病に侵された主人公とそれを支えるボランティアの話、と聞くと、それだけで「美談の感動もの」というお決まりのストーリーを想像してしまうが、全く違う。この主役の鹿野氏は自分の介護を無給のポランティアにさせ、それでも真夜中に介助のポランティアをたたき起こして「バナナを食べたい」と所望し、怒り半分必死になって食べさせると「もう一本食べたい」という、とんでもないワガママ王なのだ。「タダで介護していただいている」という卑屈さはみじんもない。そんな彼を支えるボランティアは、当時流行りの厚底サンダルで茶髪の女の子たちも混じった学生ボランティアたちだ。我儘放題の鹿野氏を介護している中で、彼らは「何のために自分はポランティアをしているのか」という問題に悩みながら、欲望むき出しで限られた生を生きる鹿野氏に、人間としてぶつかり、ぶつかり合いの中で自分の道を見つけ出す。まるで、若いボランティアたちが進むべき道を照らしだす、魂の助産師のような役回りであると感じた。その意味で、彼のような難病に侵された者は、その介護の大変さから病院や専門施設のような社会から隔離された場で介護されてきた訳だが、鹿野氏はあえてそれを飛び出し、社会で生きようとした。自らボランティアを集め、痰の排出スキルを教えるという困難に挑んだ。だからこそ、百人を超えるボランティアの輪ができ、彼が亡くなった後も毎年集うような人の輪ができた。
 「人に糞便の世話をさせるなど、迷惑をかけてまで生きていきたくない」と言われる。この本を読んで感じるのは、「人に迷惑をかける」ことの意味である。そもそも人生は、お互い人に迷惑をかけあうことで成り立っている。人生何が起こるかわからない中で、健康な者の誰もが、障害者となって人の手を借りなければ生きていけない立場になることがありうる中で、それは「迷惑」ではなく、当たり前のこととも思うし、それが優しい社会の条件であるはずである。また、鹿野氏は、「障害者はその肉親が一生面倒を見るのが当然である」という常識に抗い、自分の介護の現場からできるだけ親を遠ざけようとした。これも非常に考えさせられる試みである。
鹿野氏は自分が生きていくために、自分の体を教材にして自分で育てた介助者に自分の介助をしてもらっていた。そうやって育てたボランティアの多くがやがて医療や福祉の専門家に巣立っていった。鹿野氏の活動はその意味で教育活動だった。渡辺氏はこう書いている「鹿野は呼吸器を装着して以来、人生の主役は自分自身なのだという意識がますます強くなってきた。それは命のリスクを背負ってでも自立生活を成し遂げようとすること、そして苦労してボランティア集団を率いていくことが「人と関わること」、「人に伝えること」、「人を変えること」、とダイレクトにつながっているからだろう・・・・鹿野の活動は「労働と」位置付けることはできないだろうが、従来の福祉観、障害者観における(弱者/強者という)障害者と健常者の関係の枠組みを突き崩した、双方向的な人間関係である」と評している。
私は、これが「社会の中に生きる障害者」と「健常者」の新しい関係を示していると感じる。それは、さまざまな背景を背負った人たちがともに共生していくうえで、お互いが必要とする人たちなのである。
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