「夜と霧」のポーランド

yula3552007-09-02


 今年は食中毒と併せて結果的に1週間の夏休みとなった。これまでこんな長い夏休みがあっただろうか、と考えてみると、モスクワ在勤時代を除けば、1992年の夏の休暇にさかのぼる事に気がついた。

 そのときはポーランドに出かけた。当時のアルバムを紐解いてみると、ワルシャワ、クラコフと楽しい旅であったが、最も思い出深いのは、アウシュビッツ強制収容所であった。

博物館の中で、持ち主の帰りを永遠に待ち続ける大量の旅行かばんたち、
奪われたメガネの山(私も大変な近眼なのでメガネを奪われた怒りと悲しみは本当に身にしみる)、
人間を威圧する鉄条網、
静まり返ったガス室
絞首刑を執行した鉄棒、
銃殺のために使われた「死の壁」、
ガス室で殺され、焼かれた人の灰が投込まれ続けた池、
そしてカイコだなのように無造作なつくりの収容棟

夏なのに、敷地の中は冷たい風が吹き、一方でバラックの脇では黄色い可憐な花が、何事もなかったかのように風に揺らいでいた。

「100人の死は悲劇だが、100万人の死は統計である。」とはアイヒマンの言葉。ここで名もない多くの人たちが無造作に殺されていった。いや「名もない人」などいないのだ。人間にはみんな名前があったはずなのに、一人一人の名前を持った人間が「名もなく」殺される事、こんな悲劇はない、と詩人の石原吉郎は「望郷と海」で述べている。

この収容所を生き抜いて生還したフランクル博士の体験記「夜と霧」は、単なるルポルタージュや単なる体験談を越えて、極限を生き抜いた者ならではの、人間の存在に対する深い洞察の言葉が溢れている。青春時代に初めて読んだが、極限状態にあってもなお失われない人間の尊厳と、人間同士の実存的な交わりの中に見出される人生の価値について、いまでも読むたびに勇気を与えてくれる本である。
 この本の中で、私がもっとも好きなのは、収容所の中での、死期が迫った若い女性とフランクル氏のやり取りの、次のエピソードである。

「あそこにある樹はひとりぼっちの私のただ一つのお友達ですの」
彼女は言い、バラックの窓の外を指差した。
外ではカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。(中略)。
「この樹とよくお話しますの」と彼女は言った。私は一寸まごついた。彼女は幻覚を起こしているのか。不思議に思って聞いてみた。
「樹はあなたに何か返事をしましたか。しましたって? では何て言ったのですか?」
彼女は答えた・・・

あとはこの本を読んでください!!