校長先生の力量

最近、仕事で中部地方の小学校をいくつか回ってきた。
つくづく思うのは、先生、特に校長先生次第で学校ってこんなに違うものなのか、ということである。

この仕事につく前は、公立学校なんてみんな同じ、と思っていた。
ところが、校長先生、特にヤル気のある前向きな校長先生の下とそうでない先生の下にあるのとでは、学校は全く違ってくるのである。

今日見た小学校では、学校に着いて校長室を訪ねると、「校長先生は理科室でお待ちです」と言われ、教頭先生に案内されて理科室へ。ちょうどお昼休みだったので、校庭では大勢の子供たちが元気に遊んでいた。

理科室を訪ねると、校長先生が児童達を相手に、牛乳パックを工作して電極をはさんだ手製の蒸し器で、パンを作っているところだった。「先生、ぼくに作って」「わたしにも」とあちこちで声が上がる。校長先生は丁寧に一人一人相手してやっている。東京から来た我々そっちのけで、一生懸命児童の相手をしている。またある子供たちは真剣なまなざしでドミノ倒しの積木を並べている。また、別の子はじっとメダカを眺めている。

一段落して子供たちが教室に戻った後、我々に向き直った校長先生は、「実はここに来ている子供たちは、外でみんなと遊べない難しい子供たちでして。発達障害の子もいます」。でも理科室をそんな子供たちの居場所にすることで、難しい子供たちがすっかり手がかからなくなったと言う。

「理科室は子供たちを落ち着かせる格好の場なんですよ。ここでいろいろ実験をしてみせるのです。ある子どもは不規則に水槽を泳ぎまわるメダカに自らを重ねあせて落ち着くみたいです。子どもを飽きさせない理科室にするよう、心がけています。」

別の小学校では、校長先生自らが、直径10メートルもあるプラネタリウムを作り、そこで授業をしていた。「あれが北極星、これが北斗七星・・・・」生徒達も興味津々、昼間の体育館に突然出現した星空に見入っている。

やっぱり教育を支えるのは「ひと」である。つくづくそう思う。