アフガンの犠牲

アフガニスタンで農業援助に携わっておられた専門家が拉致され、そしてどうも最悪の結果になったようだという報道があった。

5年前、仕事で訪れたアフガニスタン。そこでは多くの日本人が、砂塵まみれの中で、援助の仕事のために働いておられた。

夜、寝ていると遠くで聞こえる迫撃砲の音。

まっすぐに延びた道路の両端に延々と並ぶ、地雷未除去を示す赤く塗られた石の列。

ユニセフから支給された真新しい青いバックを背に、再開された学校に嬉しそうに通う子供。

学校では、子どもたちは2階の教室への階段が破壊されたため、はしごで上り、校庭に打ち捨てられた戦車によじ登って遊んでいた。

地域の学校で、一緒に文字を学んでいた母と娘。私たちが学校に到着したとき、原っぱに飛び出して野に咲いている花を摘み、即席だけど素晴らしいフラワーアレンジメントの花束を差し出してくれた。

レストランで私の隣に座り、傍らに銃を置いて、楽しげに同僚兵士とスパゲッティーを食べていたカナダ軍の女性兵士。

地域の有力者の家に挨拶に行った時に出された、真っ赤なザクロの実。

現地で接した色々な光景が蘇る。

私が訪れたのは、9.11の後、一瞬の平和が訪れた時だった。

私が訪れた半年後、私が2週間過ごしたカブールのホテルは砲撃された。

いまではもう、私が訪れたカンダハル地方には入れなくなったと聞く。

今回の事件のあったジャララバードは当時から多くの援助関係者が働いていたところなのに。

現地で女子学校建設に携わっていたNGO関係者が真顔で言った。
「援助は命がけなんですよ。特に女子への教育はね。原理主義者の目の敵なのです」

平和を維持していくのは本当に難しい。善意の援助関係者がこのようにいとも簡単に殺されてしまうことには本当に理不尽さを感じる。

何のために、という無力感を感じる。

それでも、使命感に駆られる人たちは、やっぱりこのような危険を冒しながら、仕事を続けるのだろう。

その先に、一片の希望を見出すために。