ビシュケクにて



話はイスタンプールより遡るが、2月末、キルギス共和国の首都、ビシュケクに出張した。

午前5時、ビシュケクの空港に到着したときはまだ真っ暗だった。モスクワから4時間。モスクワ時間ではまだ午前2時だからとにかく眠い。モスクワを飛び立ったのが午後10時なのに、アエロフロートは律義にたっぷりボリュームのある機内食を出したりするので眠れなかった。

早朝の空港。警備兵、入国審査官、売店の女性。多くの人が働いている。

みな日本人そっくりの顔をしていた。

ホテルにチェックインし、しばし眠る。

起きたら8階の部屋から遠くに雪を頂いた山並が見えた。

平原のモスクワに住んでいると山が見えただけで感動する。

小雪交じりの曇り。


翌朝目覚めると、外は快晴。

窓を開けると、昨日見えた山の上に、雲がかかっている。

眠い目をこすってよく見て、あっと声をあげた。

雲の上に、遠く別の山なみの頂が。

これが中国国境の天山山脈の西端。そして東に見えるのは、パミールか。

山の向こうは、それぞれ、中国の新疆ウイグル地区、そしてパミール高原。それを隔てているのは6000〜7000メートル級の山なみ。

しばし、見とれてしまった。これを見ただけでも来た甲斐があった。

今回、仕事に追われて観光もできず、じっくり景色を眺める時間もなかったが、この景色だけは印象に残った。

初日の夜、長く会っていなかった知人と会って旧交を温める。この前最後に会ったのは5年前、千葉の彼の自宅だった。5年後、中央アジアシルクロードの地で再会するとは。

「昔々、日本人とキルギス人は仲よく一緒にウラル・アルタイ地方に住んでいました。そのうち、魚が好きな人たちは海を求めて東に去り、肉の好きな人は遊牧民となって南に去りました。それが日本人とキルギス人だ、という説があります。ここの子供たちには蒙古斑もあるのですよ」

昼食のとき、キルギス人の仕事相手は語ってくれた。

慎み深い人たち。食事が終わった時には、「ごちそうさま」という意味で、両手で額から鼻、口元に触れる習慣もある。食べ物になってくれた生き物たちへの感謝の気持ちを表すためという。

外国から仕事のためにキルギスにやってきた独身者が、伴侶をキルギスで見つける例は実に多いらしい。

2日目の夜、パーティーに参加すると、日本語通訳として多くの若者たちが活躍していた。大阪に留学していた学生とは、大阪弁で盛り上がった。


「また良い季節に来て下さいね」

3日間、一緒に働いてくれた通訳の若いキルギス人女性は、そう言って私を見送ってくれた。

こうして無事、モスクワに帰ってきた。

家族へのお土産は、素朴なデザインの帽子とかばん。

これを身につけていると、きっと温かい気持ちになれるだろう。