祈りの廊下・・ベラルーシの小児病棟

話は前後するが、7月にベラルーシに出張した。

ホテルから車に揺られること一時間、目指すこども病院はミンスクの郊外にあった。

大きな近代的なビルだった。

病院長や医師たちとの打ち合わせが終わり、病棟を見学した。

小児白血病の子どもたちが治療を受けている病棟。

近代的な病棟の一角に、完全に外部から隔離された病棟があった。

細長く、狭い廊下。入院している子供たちを安心させるためだろう、そこかしこに動物の絵や、子供たちが楽しそうに遊ぶ絵が書かれている。

その廊下に面して、子どもたちが入院している個室があるが、白血病の子供たちは風邪をひくだけでも致命的なので、病原菌が持ち込まれないよう、私たちは当然、親たちもガラスごしに子供たちを見守るだけである。

そのガラスの前に椅子があり、何人かの母親がそこに座っている。

骨髄移植を受けたばかりの高校生の少女。拒絶反応が出ないかどうか、注意深く観察しているとの説明があり、ためらいがちにガラス越しに病室を覗き込んだ。

白血病治療をうけている彼女の容貌がどうだっか、ここには書かないが、彼女は予想しない闖入者の姿に一瞬驚き、戸惑い、うつむいた。私もその瞬間、申し訳なさで一杯になり、憔悴したような表情の母親のそばを足早に通り過ぎた。

症状が悪化しているのに、ドナーが現れない、という少年。やはりその前にも悩ましげな表情の母親が座っていた。

廊下の終点で振り向くと、ガラスの病室と何人かの母親の背中が見えた。


廊下全体に、祈りが満ちているように見えた。


開放病棟も見ていきますか、と問われ、辞退した。先ほどの少女の表情がよぎった。仕事でかかわっているとはいえ、私は所詮部外者である。懸命に病気と闘っている彼らにとって、邪魔者でしかない。

病院から出た。ちょうど昼休み時間。軽症の子供たちが遊んだり、看護師たちがベンチでひなたぼっこしていた。ごく普通の風景に接して、正直、ほっとした。

「建物の外は平和だけど」

同僚のロシア人女性が言った。

「中は大変な戦いの場ね」

私もそう思う。

車が走り出した。

菜の花が満開の草原が延々と続く。生命のきらめき。

あの病棟の中にも、このような輝かしいものではないけれど、生きたい、生かしたい、生きてほしい、という意志と願いが充満している。それは別の形での生命のきらめきだろう。

彼らに幸いあらんことを!