24年前のあの日

2週間前の12日、日本のテレビニュースを見てある感慨にふけった。

520人が亡くなった日航機墜落事故から24年。

大学二年だった私は、船員としてアルバイトしていた瀬戸内海の関西汽船のフェリーで大阪港での出港準備中だった。船室のテレビニュースで、行方不明機があることをアナウンサーが緊張した面持ちで伝えていた。

乗船中、ずっと気になっていた。2週間後、下船し、この間の新聞でこのニュースを追っていく中で、まさにいろいろな人生の姿を見たような気がする。

その中で忘れられないのは、出張の帰途、船会社の支店長だった河口さんが、揺れながら降下していく機内で書かれた、家族への手紙、遺書である。


「どうか仲良く がんばって ママをたすけて下さい

パパは本当に残念だ

きっと助かるまい

(中略)

きのうみんなと 食事をしたのは 最后とは

何か機内で 爆発したような形で 煙が出て 降下しだした どこえどうなるのか

津慶しっかりた(の)んだぞ

ママ こんな事になるとは残念だ さようなら 子供達の事をよろしくたのむ

今六時半だ 飛行機は まわりながら 急速に降下中だ

本当に今迄は 幸せな人生だった と感謝している」




これを読んで涙が止まらなかったことを思い出す。

第一線で飛び回っていたビジネスマンが、いざ死を前にしたとき、こんなに家族への思いで溢れた手紙を書いた。この事実は、人生で何が最も大切なのか、私に教えてくれた気がする。

また、若いアシスタントパーサーは、不時着した場合のアナウンスを英文も交えてメモしていた。自分自身も死の恐怖の中にあって、最後まで職業人としての使命を全うした。これは、私に、プロとしての生き方を 教えてくれた。


以来、これらの遺書を、いろいろな壁にぶつかるたびに思い出す。

悲惨で、不幸な事故、二度と繰り返してはならないが、私に人間の素晴らしさ、強さをも教えてくれた。

いつか私も慰霊と鎮魂のために、この尾根を訪れたい。