モンテネグロで偶然「死の島」に会う
ドブロブニクはクロアチアの東端にあり、そのまま東に一時間ほど走るとモンテネグロに入る。
ドブロブニクからバスで2時間ほど走ったところにある世界遺産の町、コトルを、ミニバスでの日帰りツアーで訪ねた。
コトルで待っていたのは若い女性ガイドだった。
「モンテネグロは建国3年、欧州で最も若い国です」と彼女は明るい声で切り出した。
紆余曲折を経て、最近まで新ユーゴ、としてセルビアと連合していたが、国民投票により2006年に独立しました、と彼女は説明した。
人口60万人。まだ独自の通貨を持たず、ユーロがそのまま通用する。
教会の鐘の音を聞きながら、小さな旧市街を散歩しているだけで楽しい。
城壁に囲まれた街であるが、その城壁はずっと高い山に延びている。城壁の終点、山上の聖イヴァン要塞まで4.5キロ。真夏日の中で往復するのは断念した。
聖ルカ教会は、セルビア正教の教会だが、12世紀に建てられた当時はカトリック。確かに外見はカトリック教会だ。長くこの地がベネチア領だったゆえんである。かつてはこの地も、ベネチアの軍艦やガレー船でにぎわい、重要な軍人、船員の供給地だった。この教会も航海の無事を祈り、また無事な帰還を感謝する船乗りたちが出入りしたのだろう。
中をのぞくと若いカップルがちょうど結婚式をあげていた。
ところで、コトル湾岸を走っていると、湾上に小島があり、教会が建っているのが見えた。岩礁のマリア教会。15世紀に岩礁でマリアのイコンが発見され、ここを聖なる場所として漁師たちが石を運び島にして、教会を建てたとのことであるが、その隣にある小島を見て、あっと声を上げてしまった。
これは、べックリンの「死の島」ではないのか。
べックリンの「死の島」をご存じない方はググっていただけるといいのだが、かつて一世を風靡し、ヒットラーの執務室にもかかっていたといわれる絵で、ちょっと(かなり?)暗い絵である。
私がコトルで撮った写真には、マリアのイコンが発見された岩礁を漁師が埋め立てて教会を作った「岩礁のマリア教会」として小さく写っている。
まったくそっくりではないが、雰囲気がすごく似ている。
実際、この島は墓場だそうだ。
夕方、ドブロブニクに帰るべく国境を越えようとすると道路が自動車の長蛇の列。そうだ、朝は眠っていて気がつかなかったが、ここはEUではないから、国境のチェックがあるのだ。ユーゴスラビアの時代は、同じ国。こんな出入国審査などなかったのだろう。
通過するのに1時間近く要し、暮れようとしているドブロブニクに戻ってきた。
日帰り外国旅行。多くの国が複雑にからみあうバルカンならではである。
写真上 聖ルカ教会
中 山上の聖イヴァン要塞までつづく砦
下 コトル湾に浮かぶ岩礁のマリア教会と「死の島」としてのセントジョージ島(右端)