ボスニア・ヘルツェゴビナにて
ドブロブニクでレンタカーを借り、ボスニアヘルツェゴビナのモスタルに行くことにした。ドブロブニクから約120キロ。
国道8号を北上し、いったんボスニアヘルツェゴビナ領の町、ネウムに入り、20分ほど走ると再びクロアチア領に入る。さらに海岸線の道路に別れを告げ、進路を北に転じるとほどなく国境。ここで再度チェックを受けていよいよ本格的にボスニアヘルツェゴビナ領に入った。
ネトレヴァ川の清流に沿って走ること1時間弱で、モスタルに到着した。
モスタルの象徴スターリーモスト(「古い橋」の意味)を早速訪ねる。16世紀に架けられたこの歴史的な橋は1993年、ボスニア紛争の際に破壊されたが、2004年、再建された。
橋のたもとのレストランで橋をみながらくつろぐ。
さっき通ってきたバザールの喧噪がうそのように静かである。
キリスト教会がそこかしこに見えたクロアチアの海岸から1時間しか走っていないのに、ここの視野に入るのは、イスラムモスクの高い塔。
川の流れる音、子どもたちが川に飛び込む音、その後に引き続く歓声。
音だけを聞いていると平和な夏の午後であるが、目を転じると橋の背後には砲撃で破壊され、廃墟になった建物がそのままの姿をさらしている。
橋のたもとには、1993年を忘れるな、との文字が。
ここに来る道中、道路わきの地名表示はラテン文字とキリル文字が併記されているのだが、キリル文字だけが黒いスプレーでことごとく塗りつぶされていた。この国は最も多くの民族が入り交じる国。内戦が最も激しかったのもこの国。
物乞いの人の数もこれまで通り過ぎてきたどの町よりも多い。
橋のたもとにあった「橋の博物館」をじっくり見学するなど、夕方までゆっくりこの街で過ごした。博物館脇の写真展示スペースでは、この橋が砲撃され、崩れ落ちる様が上映されていた。何人かの観光客がそれを見ながら涙を流していた。
今はもとのように復元された橋。
橋自体は元に戻っても、人々の心が元に戻るまでどのくらい時間がかかるのか。果たしてそれは可能なのか。
そんなことを考えながらハンドルを握り、ドブロブニクに戻る。
ドブロブニクに入る直前、日が暮れたが、海の向こうに落ちて行く太陽とその残照は信じられないくらい美しかった。
写真上 スターリーモスト。左端の建物には砲撃であいた穴がそのまま残る。
中上 塗りつぶされたキリル文字
中下 砲弾の跡が残る建物も多い