ロクルム島にて
ドブロブニクの旧港から船に乗り、魚が足元でひらひら泳いでいるのを見ながら航走ること15分で、無人島、ロクルム島に着く。
小さな桟橋に降り立ち、糸杉の木立の中を5分ほど歩くと、アドリア海の外海に面した海岸に着く。ドブロブニクの喧噪とは異なり、ここの喧噪はにぎやかな蝉の声だ。
それにしてもこの蝉の声の大合唱、そして海岸の美しい松林を眺めていると、小さい頃から夏に何回も通った南紀州の枯木灘海岸にいるような錯覚に襲われる。
アドリア海まで来て、和歌山かい。
心の中でそう思うのだが、幼い頃の夏の思い出そのものと言ってもよい、南紀州の夏景色と幼い弟たち、溌剌と子どもたちと一緒に泳いでいた若い両親の姿が何回もフラッシュバックする。
早速息子と海に入る。ここは海岸ではなく、磯。みんな岩場から飛び込んでいる。もぐるといろいろな魚たち。近寄って行っても逃げようとしない。
岩場のてっぺんから、若者たちが飛び込んでいる。おそるおそる、岩を登って下を覗き込んで見ると、6メートル近くありそうだ。足がすくむ。
息子は面白がって何回も飛び込んでいて、「お父さんは意気地なしだねえ」と挑発するので、今後の教育上の優位を確保するためにもここは飛びこばねばならぬ、と意を決した。
「えいっ」と飛び込む。
一瞬の後、ずぶっと海に沈む。底が見えないほど深い。深い深い蒼い闇が足元に口をあけている。
海水の冷たさを感じて実に心地よい。
そのままあたりを遊弋する。
十数年前、この海上の軍艦からドブロブニクに向けて、連日砲撃が撃ち込まれたのだ。子の島も海水浴どころではなかっただろう。
泳いでいると温かい水と冷たい水が入り交じり、汐が流れているのを感じた。
仰向けになって浮いたまま、流れに身を任せた。
ゴーグルの端々から、太陽の光がキラキラ差し込み、寄せ返す波の音以外何も聞こえない。自分以外、世界から消えてしまい、大海の中を漂流しているような錯覚に陥り、少し怖くなって我に返った。
まわりは、一面、美しいアドリアの海と蝉の声。
私は祈った。
この平和がいつまでも続いてくれることを。
そして、息子にとって、私がここで故郷を思い出したように、将来、家族と過ごした夏の日の思い出となってくれることを。
写真上 ロクロムからみたドブロブニク旧市街
下 岩場から飛び込む子どもたち