出雲にて




ロシアの先生方は帰国の途に就いたが、私は引き続き残された会議や打ち合わせをこなす。

疲労がピークに達し、効率が上がらないなか、何とか全ての予定をこなした。

そして、週末も含めて3日、残された日々が休日となった。
となると、こういう機会でもなければ行けない場所に行きたい。

7月に大阪の実家に帰ったばかりではあるが、体力の衰えが著しい父に会っておきたいので、とりあえず大阪には一泊することとして、その組み合わせを考えたとき、よぎったのが出雲。モスクワで基本的な予約だけはしておいた。

早朝の飛行機で羽田から出雲空港へ。空港でレンタカーを借り、一路石見銀山へ。

世界遺産センターで銀山を見学するツアーを予約。予約係のお姉さんに「3時間の山歩きですよ」と念を押されて、いまさらええっとも言えずチケットを買ったが、本当にかなりつきい山歩きだった。

鉱山の入口では長靴に履きかえて、ヘルメット、懐中電灯を持たされる。

かつては数万の人が住んでいたという山間の谷筋。いまはひっそりとして、人影もまばらだ。ここから産出される銀が、当時の日本の輸出品として、国の経済に大いに貢献した。このため、鉱夫の給料は良かったが、ほとんどが今でいう塵肺にやられ平均寿命は30才未満、30歳の誕生日には赤飯を炊いて長寿を祝ったという。

そんな話を聞きながら坑道を出て、下山するが途中膝ががくがく笑う。
情けない。

夕方、石見の山中、それこそ車1台分がやっとという道路をくねくねとすり抜けて、今夜の宿に向かう。

しかしすごい山中である。この先、本当に宿があるのか、と思っていると、突然ぱっと視界が開けた。

なんという素晴らしい景色。まさに天空の宿である。

日本海の海の幸を中心にした、心づくしの食べきれないほどの料理がテーブルに並び、舌鼓を打った。食後は宿の方々と楽しい会話。

旅というのは不思議なものだ。

旅先で出会った人に、初対面なのに、めったに他人に話さないいろいろな日ごろの思いを話してしまうことがある。

この日の夜もそんな夜だった。

夜中まで私の問わず語りに付き合ってくれた宿の方に感謝。

朝、宿の犬と戯れていると朝食になった。
これもおいしく、何杯もお代わりしてしまう。

買い物に出る宿の方の案内で、温泉津まで連れてきてもらった。

「それではまた会えますね」

笑顔でさよならを言う。

「一期一会」。

昨夜泊った部屋の壁の書に書かれていた言葉である。私の好きな言葉だ。

でも「会いたい」という意思と縁があればまた会える、と信じよう。


薬師の湯という公共浴場でひと風呂浴び、屋上から町並みを眺めるがこれがまた古い街並みがよく保存されていて素晴らしい。

その後一時間、マッサージを受け、あまりの心地よさに眠ってしまう。

寝ぼけまなこのまま、昔、石見銀山でとれた鉱物の積み出し港だった沖泊に向かう。

小さなトンネルを越えるとひなびた入り江の村に入る。

そこで車を止め、人一人通るのがやっとの狭い海岸沿いの山道を歩く。

海に落ちないように注意しながら草を掻き分け、ときどき浜に降りながら、歩くこと15分。

昔、船をつなぐために岩を掘った「鼻ぐり岩」が見えてきた。
ここがにぎわったのは200−400年前。どんな船がこの岩に結ばれていたのか、想像すると楽しい。

それにしても小春日和の暖かな日だ。

海は凪いでいて波もなく、遠くの磯で何人かの釣り人が釣り糸を垂れている。

午後のやわらかな陽射しが海面をきらきら照らし、光の粉を注いでいる。

中学生のころ、土曜日の午後、学校から帰って汗ばんだ体を畳の上に横たえた。遠くで聞こえる電車の音を聞きながら、突然訳もなく、なんて幸せなのだろう、と思ったことを思い出した。

今日のようなやわらかな陽射しの日。

人生に何回か、訳もなくこんな瞬間があるのかもしれない。

自分がこの世に生れて、今、ただ存在していることの幸福感。


レンタカーを返し、出雲市駅から特急「やくも」に乗り、岡山経由、大阪の実家に向かう。

いつも以上に、老いた両親に素直な気持ちで会うことができそうだ。

写真上 石見銀山 大久保間歩
  中 宿から日本海を見下ろす
  下 中世、船を係留した鼻ぐり岩