ブリュージュ

冬休みを利用して、フランドルとイタリアを旅したので、少しずつアップしたい。

最初はベルギーのブリュージュ

この街を私に結び付けてくれたのは2枚の絵。一つは、画集で見た、ベルギー象徴派の画家、クノップフの「見捨てられた街」。19世紀末に一世を風靡したしたローデンバックの小説「死都ブリュージュ」を題材に、ブリュージュを象徴的に描いたもの。

もう1枚の絵は、フランドル絵画の名手、ファンエイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」。
この絵は14世紀、まさにブリュージュの全盛期にブリュージュで描かれ、イタリア商人夫妻の婚礼の絵といわれているもの。私の最も好きな絵の一つだが、左の窓から差し込んでいるフランドルの弱い日差しと、そこから流れ込んでくるひんやりした空気と真鍮のシャンデリアの冷たさが、600年の時を越えて私に運ばれてくる。

この2枚の絵に関係しているブリュージュという街にたまらなく行ってみたくなったのだ。

12月24日夜、ブラッセル空港に降り立った私はブラッセル中央駅からブランケンブルグ行きの特急に飛び乗った。列車から見える家々は、クリスマスのテーブルを家族みんなで囲んでいる家がちらほら見えて微笑ましい。

ブリュージュ駅に降り立ったのは21時頃。雪の中でタクシーに乗ると、前方の道路を影がさっと横切り、雪野原を駆けていく。野うさぎだった。

ブリュージュが国際貿易都市として最も活況を呈したのは13世紀〜15世紀のころ。以降、16世紀になると砂の堆積で港が使えなくなり次第に衰退、街は中世の雰囲気をそのまま閉じ込めたまま、現在に至っている。前述のローデンバックの小説の言葉を借りれば、「廃位された王妃」。まさに、かつて王妃だった街の輝きが、そのまま時間をかけて朽ちていっている、という感じだ。

そういうと何ともうらぶれた町のようだが、観光で再生した街は活気があって、かつての荒廃は縁遠いものになったと感じる。街の中心であるマルクト広場ではスケートリンクが開設され、出店も多く並び、にぎわっていた。

小さい街なので、徒歩で十分端から端まで歩けてしまう。クリスマス休暇時で、街は観光客で大賑わい、観光客を乗せた馬車がひっきりなしに行き交う。

366段という鐘楼に上ると、赤い屋根の家々が眼下に見えた。

今は水運としては使われなくなった運河に沿った道を、切妻屋根にブリュージュ名物のノコギリ状のぎさぎざの装飾を施したファサードの建物を見上げながら歩いていると、まさに中世そのものにはまり込んだような、そんな気分がした。


ある夜、ホテルの周りの運河沿いの小道を歩いた。

背中がぞくぞくした。

何という静寂。

月の光が、流れの止まった運河に注いでいる。

今、私はいつの時代にいるのか、と思うような一瞬。


携帯電話を持って話しながら歩いてくる男にすれ違って、やっと私は我に帰ることができたのだった。