一寸先は闇
昨夜アルメニアから戻り、旅の先々で見た景色を思い出しながら、旅先で仕入れたCDを夜中まで聞いていた。
幸せな気持ちで眠りに就いたのが午前1時過ぎ。
「起きて、起きて」という妻の切迫した声で目が覚めた。午前4時。
「外が変よ」
慌ててアパート6階の我が家の寝室から外を見ると、ちらちらと炎が見える。もうもうと立ち昇る火の粉。
我が家のアパートから通りを隔てた向かいの建物が炎上していた。
貴重品を持って飛び出そうとする妻子を押しとどめ、避難の準備だけさせてとりあえず様子を見るために私だけ飛び出した。
3階建ての隣の建物から大きな炎が上がっている。ここはナイトクラブだった建物のはず。電気が消えていて人はいないようだ。
強い風。風が吹く度に炎の先が我がアパートの外壁を舐める。
電線が強い炎で焼き切れるのが見える。
通りに所狭しと駐車した車に阻まれ、消防車が通れない。もどかしそうに消防士たちが長いホースを繋ぎ出した。
割れた窓から炎があがり、軒の下を伝っている。
ときどき爆発音のような音が聞こえ、そのたびに火勢が強くなる。
ガス管が破裂したのか、桃色の大きな炎が上がり始めた。屋根が崩れ落ちると同時に、炎が闇の中に巨人のように立ちあがった。
天に向かって高く舞い上がる火の粉。
こんなすごい火事を眼前で見るのは初めてだ。
ようやく我が家のアパートのはしご車から勢いよく放水が始まった。
やれやれ、これで我が家への延焼は免れるだろう。
ここで見張っていたいが氷点下10℃。そろそろ限界だ。
自宅に戻り、窓から消火活動を見守る。
そのうち、我がアパートは猛烈な黒煙に取り巻かれる。
美しい朝焼けがかき消され、窓の外は真っ黒で何も見えない。
窓は閉めているがどこからか入ってきた黒煙が喉を痛めつける。
朝7時。テレビのトップニュースは我が家の前からの中継だ。
大分火勢は弱くなってきた。もう大丈夫だろう。2時間しか寝ていないが出勤するか。
夜。帰宅する前に現場を通りかかると花が立向けられている。聞くとナイトクラブの警備員の方の遺体が焼け跡から発見されたらしい。
あの怪獣の舌なめずりのような炎を思い出して、ぞっとした。
火事が自分のアパートでなくて良かった。
そして私が旅行中でなくて良かった。家族を守れないところだった。
それにしても旅行から戻り、幸せな気分で床に就いたはずなのに。
人生、本当に何が起こるか分からない。