石を踏みしめる・・・アルメニア・サナヒン修道院


翌日はあいにくの雨。

早朝ホテルを出て、グルジア国境、ロリ州の山奥にあるいくつかの修道院を訪ねることとした。1日3−400キロを走る計算。

一時間ほどしてコーカサス最大の湖、セバン湖のほとりに出る。湖岸ある9世紀建造の修道院が見える。(今は寒いので、帰りに寄りましょう、ということにしたのを後悔している。帰りにここを通ったのは日没後で結局寄れずじまいになった。)

さらに1時間半以上山あり川ありのドライブを経てハフパット修道院に着く。途中、スピード違反で捕まった。タクシーの運転手は制限速度の60キロを越えていない、と言ったが、パトカーの警官は真面目な顔をして、61キロだったぞ、と。よくもまあ、と言う気もするが。

さて、やっと到着した山の中に立つサナヒン修道院は10世紀ごろの建造の世界遺産

みると教会の床が全て墓石である。聖堂を出て、別の建物に行こうとすると、雨で泥のようになった道に長方形の敷石がずらっと並び、その上を歩いて伝っていけるようになっている。

「これは全部棺ですよ」

ガイドさんが教えてくれた。

亡くなった後も人の役に立ちたいので、棺を敷石にして欲しい、と言い残して亡くなった方々のものらしい。

この方々のおかげて、こうして、雨の日も靴を汚さずに修道院を参拝できるようになっている。表面に刻まれた文字は、1000年近く、ここを行き交った人たちに踏まれて、ほとんど読めなくなっている。

死してなお、人の役に立ちたいと願った人々の想いに応えるべく、私は一つ一つ、ゆっくりと棺を踏みしめた。こうしてひとつひとつ、確かめるように歩いていると、1000年前の人が確かに生きていたのだという証のようなものを感じる。

修道僧の使っていた図書館を訪ねると書棚がまるでモスクの屋根のような模様になっている。異教徒のトルコ人が侵攻してきた際に、壊されないためにそのような模様にしたという。

20世紀最初の、トルコ軍による百万人を越えると言われるアルメニア大虐殺と、現代に到るまでトルコとの間では緊張関係にあった。その中で何とか、信仰の灯を絶やさないようにするためには、想像を絶する苦労があったのだろう。

聖堂の中には、大きな三つの窓。毎月4月2日と9月2日の2回、この三つの窓から差し込んでくる光で、聖堂の床に十字架の模様が浮かび上がるように設計されているという。

最盛期には500人の修道僧が暮らしたといわれるサナヒン修道院

蝋燭を買って燭台に立てる。

雨の音以外に何も聞こえなかった。