息をのむ美しさ・・・ホルビラップ修道院




最終日は午後2時に空港に向けて出発するまで何をするか決めていなかったが、前夜、急遽トルコ国境に近いホルビラップ修道院こ行くことにした。

ホテルにタクシーを呼んでもらう。
運転手はハチャトリアンさん、と言った。「偉大な音楽家と同じ名前ですね」と言うと誇らしげに笑った。

エレバンから1時間ほど南下する。

「あれですか?」

修道院が見えてきて、思わず声をあげた。

バックにアララト山を望む大平原のただ中にある山の上にその修道院が見えたのだ。

あれがアララトだよ、ノアの方舟が最後に大洪水の果てに流れ着いたところだ、とハチャトリアンさんは言う。

「ナーシゼムリィ」

彼はアララトを仰ぎ見ながら、ロシア語できっぱりとそう言った。「我々の土地」という意味だ。

我々の目の前にあるアララト山は、今はトルコ領。この修道院からトルコとの国境線が見えると言う。

到着したのは朝9時。「ゆっくり見ておいで」とハチャトリアンさんに送り出してもらった。

観光客の姿はおろか、修道院関係者の姿もない。

聖堂に入ろうと恐る恐るドアに手をかける。開いていた。

中には誰もいない。正面に大きな十字架のかかった幕が掛けられている。

静寂に圧倒される。

聞こえるのは鳥の声と風の音だけ。

ホルヴィラップは、「深い穴」の意味。この国にキリスト教が伝わった3世紀、聖グリゴール・リサボリッチがこの修道院が建てられる前にこの地にあった深い穴に13年、幽閉されていたことに由来する。

この1800年前の深い穴が、この修道院内に現存しているらしい。

どこだろう、と院内をくまなく探していると、あった。

人一人がやっと通れるような縦穴に、垂直に鉄の梯子がかかっている。
途中から曲がっていて、どのくらい深いのか分からない。

周りには誰もいない。

どこまでこの垂直の梯子が続いているのかも分からない。

もし、途中で手を滑らせたら・・・

もし、途中で引き返せなくなったら・・・

諦めて帰ろうか、と思った。危険すぎる。それに私は生来の閉所恐怖症の筈。

諦めて一回、建物の外に出た。

でも、もう2度とここに来ることもないかもしれない、と思うと、どうしても降りてみたくなった。

意を決して、そろそろ梯子を降りる。

果たして、階段の何段目かに足を掛けた瞬間、くるっと一回転して足を滑らせそうになった。

私が命綱のように握りしめている手すりは、よく見ると何箇所か梯子本体から切り離されていて、針金で補強されていた。

ようやく地底に降り立った。直径三メートルほどの広さ。

キリストの絵が掲げられている他は何もない。

壁は千数百年の間の蝋燭のすすのせいだろう、真っ黒になっている。

恥ずかしい話だが、私は5分で逃げたくなった。息苦しい。早く地上に出たい。

こんなところに13年も閉じ込められていたとは。

階段は降りるよりも登る方が大変だった。とにかく地上に出た時のほっとした気持ちは忘れられない。

修道院を出て、隣の丘に登り、眼下の修道院と、目の前にそびえるアララト、そしてその麓の平原を見る。

息をのむような美しさだ。

きっと千年の間、ずっと変わらなかった風景。

アララト山は標高五千メートルを越える。残念ながら雲がかかって全景が見えない。

晴れないかな、と願いつつ、そのままずっと腰をおろしてこの素晴らしい景色を眺めていた。

みると、院内を人影があちこち動いている。ハチャトリアンだ。

きっとあまりに遅いので心配になって私を探しているのだろう。

「おーい」

聞こえないようだ。

早く行ってあげなければ。

私が駐車場に姿を見せると、運転席からハチャトリアンが駆けだしてきた。


写真右 修道院遠景 雲に隠れているが後ろの山がアララト
中 修道院全景。隣の丘から撮影
左 聖グリゴール幽閉の「深い穴」の底から見上げた鉄梯子