アルメニア余話
1.山奥の村に忽然と現れたミグ戦闘機
サナヒン修道院を後にして、谷を背にした周りの素晴らしい風景に見とれていると忽然と姿を現したのがこのミグ戦闘機。
ミグを設計したソ連のミコヤン設計局の創始者、ミコヤンがこの村の出身ということで、ミグ博物館になっている。ガイドの説明によると、彼はある時村に飛来したフランスの飛行機(事故で不時着したのか?)に魅せられて、航空機設計者を夢見るようになったとか。
ちなみに、ミコヤンの兄は、スターリン、フルシチョフというソ連の動乱期を政治局員としてしたたかに生き抜き、ソ連最高幹部会議長まで登りつめた人物。こんな寒村であるが、世界的に知られる兄弟を輩出したのだ、と思うと感慨深い。
2.花売りの少年たち
ゲガルト修道院を訪ねる道すがら、少年たちが手を振っている。停まってみると花売りの少年たち。そう言えば明後日は婦人の日だったね。自分でお金を稼ごうという姿勢はエライ。
さて、二度目のアルメニアは予想に違わず素晴らしかった。
10年前と比べて、明らかに豊かになっている気がする。エレバン市内で泊まったホテルの前に会った温水プールを併設したレジャーランドは、巨大なプール、何層にも重なった滑り台など、日本のレジャーランド顔負けの施設で、多くの市民が遅くまで遊んでいた。
前回感じた、旅人に接するときの滲み出るような暖かさは、今回は感じる暇がなかったが、実際はどうなのだろうか。
それでも山奥にひっそりと佇む修道院の姿や、リプシメの教会で鳴り響いていた聖歌を思い出すと、今でも少し胸が熱くなる。
それから、あちこちで見た巨大な廃墟。ソ連が崩壊し、ソ連時代の計画的分業の中で成り立っていた生活が崩壊してしまったことをありありと見せつけられた。
ある地方都市に行った時、何気なくガイドに、「この町の人たちは主に何をして食べているのですか?」と聞いた時、「何もしてないわよ」と吐き捨てるように言っていたのを思い出す。
3度目に行けるのはいつだろうか。
そのときこの国はどのように変貌しているのだろう。