お気に入りの場所で


今、鎌倉は紅葉が真っ盛り。このところ、週末は天気がいいので、持ち帰り仕事をほったらかして、つい自宅からふらふらと散歩に出てしまう。

先週末は、源氏山公園から佐助稲荷神社まで短いハイキング。

そして、今日は浄光妙寺へ。

鎌倉駅の北に広がるこの界隈は私のナワバリで、いろいろお気に入り場所があるが、今日久しぶりに再訪して、やっぱりここが一番かな、と思うのが浄光妙寺の境内の最高峰にある、国指定史跡、冷泉為相の墓。

鮮やかな境内で、1299年の作と伝えられる阿弥陀如来を拝した後、狭い山道を登って背後の山に。

そうすると、鎌倉に多い、いわゆる「やぐら」の中に、網引地蔵がある。海で、網にかかって引き上げられたとの由来があり、こう呼ばれている。供養されたのが、1313年とあるそうで、ざっと700年前のお地蔵さまだ。

そこからさらに背後の山に一直線に続く石段を登ると、鬱蒼とした木々に覆われた八畳ほどの広さの山頂に、この為相の墓がある。

藤原定家の孫として有名な歌人で、母は、「十六夜日記」で有名な阿仏尼。13世紀末、京都から鎌倉に下り、鎌倉幕府滅亡の直前にこの地で没した。

墓は高さ1.5メートルほどの宝穝印塔。南北朝時代の特徴が良くでているそうだ。墓を囲う玉垣は、江戸初期に黄門様こと水戸光圀公が寄進したもの。

モスクワに行く前までは、お気に入りの場所としてよく訪ねてきたものだ。
いつもひっそりとして、誰か人に出くわしたこともない。

2キロ先の相模湾の海が輝いていた。午後の木漏れ日が差し込んでいる。
こんなところから海が見えることを知っている人は近所の住民でも少ないだろう。

風の音と、鳥の声。圧倒的な静寂。

山の麓を走る横須賀線の踏切の音や電車の通過音さえ、映画の回想シーンのように思えてくる。

この線路沿いは街道だったので、鎌倉に幕府があったころはさぞかし賑やかだったろう。遠路はるばる都にやってきた人たちの、安堵と緊張した表情、馬車や荷車が行きかう様子が目に浮かぶ。

700年前からここにあり、これからもずっとここにあるのだなあ。

そう思うと、妙な既視感にとらわれた。

気のせいか、木漏れ日が一瞬、揺らいだ気がした。

700年も今の目まいと同じ位、一瞬なのだろう。