「トイレの神様」が思い出させてくれたもの

年末の紅白で「トイレの神様」を聴いて、中々良い歌だなあ、でもどっかできいたことあるなあ、この歌詞、と思っていた。

確か中学校の国語の時間で習った詩だったような、と思っていたら、昨日、毎日新聞の投書欄で
同じことを考えていた人を発見、国鉄職員だった浜口国雄氏の詩だったことを教わった。

そして30年振りにこの素晴らしい詩と再会した。
1955年に、この詩は国鉄詩人賞を受けたという。
とても好きな詩なので、ここに全文を載せておきたい。
(「詩の中にめざめる日本」岩波新書所収)

これが詩?という感じで、食後にはちょっとヘビーですが、最終節がたまらなく素敵だ。
「働くこと」をこんなに美しく歌い上げた詩はないと思う。


便所掃除           浜口国雄

 とびらを開けます。
 頭のしんまでくさくなります。
 まともに見ることができません。
 神経までしびれるかなしい汚し方です。
 済んだ夜明けの空気までくさくします。
 掃除がいっぺんにいやになります。

 どうして落ち着いてくれないのでしょう。
 けつの穴でも曲がっているのでしょう。
 それともよっぽどあわてたのでしょう。
 おこったところで美しくなりません。
 美しくするのがぼくらのつとめです。
 美しい世の中もこんなところから出発するのでしょう。

 くちびるをかみしめ、戸のさんに足をかけます。
 静かに水を流します。
 ババぐそに、おそるおそるタワシをあてます。
 ボトン、ボトン、便つぼに落ちます。
 ガス弾が、鼻の頭で破裂したほど、苦しい空気が発散します。
 心臓、爪の先までくさくします。
 落とすたびに、くそがはねあがって弱ります。

 かわいたくそはなかなかとれません。
 たわしに砂をつけます。
 手を突き入れてみがきます。
 汚水が顔にかかります。
 くちびるにもつきます。
 そんなことにかまっていられません。
 ゴリゴリ美しくするのが目的です。
 その手でエロ文、ぬりつけたくそも落とします。
 大きな性器も落とします。

 潮風が壺から顔をなであげます。
 心もくそになれて来ます。
 水を流します。
 心に、しみた臭みを流すほど、流します。
 雑巾でふきます。
 キンカクシのウラまでていねいにふきます。
 社会悪をふき取る思いで、力いっぱいふきます。
 
 もう一度水をかけます。
 雑巾で仕上げをいたします。
 クレゾール液をまきます。
 白い乳液から新鮮な一瞬が流れます。

 静かな、うれしい気持ちですわってみます。
 朝の光が便所に反射します。
 クレゾール液が、糞壺の中から、七色の光で照らします。

 便所を美しくする娘は、
 美しい子どもをうむ、といった母を思い出します。
 ぼくは、男です。
 美しい妻に会えるかもしれません。