死に場所を得た

「もし元気で知事の座にいたら、それは死に物狂いでやりますよ。死に場所を得たと言うとおどろおどろしい言い方だけど、そのためにこそ知事をやっている、という場面がたくさん出てくるでしょうから」 浅野史郎・前宮城県知事


本や新聞で出会ったり、テレビやラジオで聞いた一言が何となく気になる。そんなカテゴリーで日記を書くいもいいか、ということで、「今日の言葉」というカテゴリーを作ってみた。

その初回の今日は、10日の毎日新聞夕刊の浅野史郎・前宮城県知事のインタビュー記事から見つけた。「死に場所を得た」というのは確かに大げさではあるが、いい言葉だ。

私も、震災から今日まで、原発事故対策本部員として土日もなく働いてこられたのは、「自分たちがやるしかない」という気持ちだったのは偽らざる心境だが、氏の言葉を聞いて、「そのためにこそ公務員をやっているのだ」という実感が欲しかったためでもあるのだな、と気づいた。

短命でも、これが自分の使命なのだ、と納得して死ねる人は幸せである、と思う。そんな実感が得られるのであれば、多少命が縮んでも良い。

だが現実はどうか。我々は、本当に被災した方の役に立っているのか。

早朝から深夜まで、国会の議論のための準備と対応に忙殺されてきたが、何が変わったというのか。そう考えると空しい。このまま斃れることがあったとしても、納得はできないだろう。

もっと世の中のために働きたい、と多くの公務員は願っているのに、なぜそうならないのか。

この国のシステムは何とかならないものなのか。

人のせいにしても始まらない。

とにかく自分でできることを考えよう。