石巻にて

・・・ああ、大川小学校ですか。1時半に予約のお客さんがあるので1時間半しか時間ないですが、往復できると思いますよ。石巻駅に戻ってくるということで。それでは「被災地めぐり」ということで貸切タクシーとして参りましょう。あの地区は久しぶりなのですがね。まあ、大丈夫でしょう。

あ、ハイ。3月11日は、三陸の知り合いの仕事を手伝いに行ってました。女房は京都に嫁いだ娘のところに行ったので私だけ。知り合いの市営住宅にいたら立ってられないほどの大きな揺れがあって、これは津波が来るな、と思ったのですが住宅が高台にあったんでそのまま住宅で見ていたんです。天気が悪い日でちょうど地震が来たころは吹雪いていました。だから逃げたくない、どうせ津波が来ても大したことないだろう、そんな気持ちで家にとどまっていた方も多いのではないでしょうか。

そしたらすごい津波が来て・・・・、すぐ足もとで大勢の人が津波に流されていきました。すごい勢いで、もんどり打って上下さかさまに流れて行った人もいます。「わー」とか「助けてくれ」とか、声にならないような叫び声があちこちで響いていました。

その夜は水が引きませんでした。助けに行くこともできず、住宅で横になっていましたが、潮のちゃぷちゃぷいう音が間近に聞こえて寝付けませんでした。電話も通じない。京都の女房に無事を知らせることができたのも10日たってからです。

これが北上川です。ほら、あれが新北上大橋です。こんな立派ながっちりした橋なのに、橋の北側の4分の1が流されてますでしょう。すごい津波だったんです。海からここまで4キロもあるのに。

橋のところで堤防が決壊して、集落が流されました。その集落、釜谷の中心が大川小学校です。着きました。近くまで車では行けませんので、歩いて行って下さい。100人余りの教職員、児童のうち、80人あまりか亡くなりました。地震から避難開始まで40分あったのに、避難開始が遅くて、間に合わなかったんです。まだ見つかっていないお子さんもいて、親御さんが毎日通っておられると聞きます。祭壇があるのでお参りしてあげてください。


あ、戻っていらしたんですね。もうよろしいですか。そうですね。本当に静かです。でも地震の当日、ここに大津波が押し寄せて、児童が波にのまれました。ここで彼らの悲しい叫び声が響いていたはずです。

では石巻に戻りましょうか。一見、どこにでもある平和な田舎でしょう。ここでそんな酷いことが起こったなんて夢みたいです。

でもあの日以来、被災地に来るとフラッシュバックのようにあの時が蘇ります。目の前を流されていった多くの人たちの叫び声が聞こえるのです。泣けてきます。夢にも出てきます。だから被災地には来たくないのです。私も10人以上の知人を喪いました。ずっと葬式やら、法事やらで忙しい日々でした。

うちの会社も「被災地めぐり」なんて気楽なことを言ってますが、正直言って抵抗があります。多くの報道の方たちを現場に運びましたが、写真をパチパチ撮っているのを見ると無性に腹が立ちました。いやいや、謝ることはないですよ。テレビや新聞で報道されているだけではわからないでしょう。被災地で本当に何が起こったのか。ここに立って見て、はじめてわかることがありますよね。だから私達がこうしてご案内してお見せしたことを、できるだけ多くの方々に伝えて欲しい、そう思うようにしているんですよ・・・・

上 流された北上大橋
中 釜谷集落
下 大川小学校