一年過ぎて

この1カ月は休日も仕事に追われていた。

一昨日、朝の出勤途中、ウグイスの声を初めて聞いた。
去年よりかなり遅いが、やっと春の到来か。

震災から1年。
「その瞬間」には、鎌倉ではいくつかのお寺で、慰霊の鐘が鳴り響いた。黙祷を捧げた。

昨年の今頃はどうしていたか、と思いだそうとした。

自ら志願して震災対策の担当になったが、対策本部は戦場のようだった。
その中で、食事や睡眠もほとんど取れないまま、無我夢中に働いた。
だが、刻一刻悪化していく状況は、それこそ悪い夢を見ているようだった。

1年過ぎて、自分が何ができたのか、無力感にとらわれるし、申し訳なく思う。

同時に、この国に、本当に復元力があるのか、と心の底から思う。

この国は、今回の震災から本当に学ぼうとしているのか。本当に「変わる」「変える」気概があるのか、と思う。これだけの犠牲を払っておきながら、すでに「喉元過ぎれば・・・」になろうとしているようなのが怖い。

ただ、希望もある。

先日、偶然見つけた福島の女子中学生のこの作文を読んでほしい。
http://www.vill.otama.fukushima.jp/kouhou/h23/h2312.pdf

思わず目頭が熱くなった。
特に、原発事故を「誰が悪いわけではない、人間の長い歴史の中で起こった出来事」ととらえ、福島の人々は「選ばれた者の使命」として事故を克服していかねばならない、というくだりを読んだときは驚愕した。

そして、深く考えた。

政府、東電はもちろん責任がある。誰が「悪い奴」なのか、暴くことは重要だろう。

だが、彼女はその先を既に見ているのである。

それは「自立」である。

彼女は従容として、原発事故から復興することを自分の使命として受け入れ、それに立ち向かおうとしている。

何という強さであろうか。

私はこんな子どもたちのために働かねばならないのだ、と強く思う。