5月14日〜19日 コマンドルスキー諸島の写真集に心洗われる

週の前半はとにかく慌ただしく過ぎていった。睡眠不足のはずだが、神経が高ぶっていて眠気を感じない。短いといっても4時間は眠っているのだから、昨年の今頃に比べればよく眠っていると言える。よしとしよう。

最近見る夢がどうも変だ。

リアルすぎる。

色彩が鮮やかすぎる。

起きてからもいつまでも憶えている。

そして、

なんというか、すごい既視感がある。どっかでみた風景、のようなのだ。

そんな夢を毎晩毎晩見るので、何か毎日違う自分の人生が並行して動いているようだ。もしかして、これ、精神的に危険な状態?


土曜日は小樽に行くつもりだったが、どうしても自分の研究分野に関係する講演が学内で開かれることが直前に分かってしまった。知らなければそのまま小樽に行ったはずだが、知ってしまった以上、その講演に顔を出さざるを得ない。

ただ、その講演はすばらしいものだった。そこで私はカムチャッカの「コマンドルスキー諸島」を知った。アリューシャン列島の西端。ベーリング海の名前の元になった、ロシア人のベーリング船長が眠るベーリング島などから成る。第二次大戦中、アリューシャンアッツ島において、日本軍守備隊2000人余りが、米軍の猛攻で玉砕したことは知っていた。それ以上深い知識はなかったのだが、講演会後、会場で手にしたロシア語のコマンドルスキー諸島の写真集が、私の心を鷲掴みにしたのだ。

荒涼とした海岸で遊ぶ明るい子供達、

屈託なく笑う漁民、

ロシア人、そして明らかにエスキモーの血を引くと見られる人たち、

そして、粗末な木の家から漏れる暖かな光。

よく見ると、窓から見える家の中に飾ってある絵は、私の大好きなクラムスコイの「忘れえぬ女」だった! 

海に面した高台にある墓地、小さな墓碑が、てんでばらばらに草むらの中に埋もれている。墓碑の向こうには灰色の空の下で荒れ狂う海・・・

何という光景。懐かしいというか、見ているだけで涙が出そうなくらい、心打たれた。

気がつけば、写真集の一枚一枚を携帯電話のカメラで撮っている自分がいた・・・



そして、19日の日曜日はやっと小樽。

まず、お気に入りの「おたるぴざはうす」でピザセット。ここのピザは日本一美味しいと思う。イタリアオペラを聞き、壁にかかっているイタリアをテーマにした大きな絵を見ながら食べるのは格別。

祝津に初めて訪ねてみたら「にしん祭り」。おいしそうな鰊が浜で焼かれていた。

そしてかもめやに。昨夜の行事に参加できなかっことを詫びながら女将さんと話ししていると、話が自分の仕事の忙しさについて、というところに及んだところで、ふと、自分が毎日午前様の生活でも何とかやっていけるのは、この仕事が好きなんだな、と今更ながら気づいた。

そうなんだ。そうだったんだ。



国鉄手宮線の廃線跡を歩いてみた。

さびた踏切跡、さびたレール、廃屋のような倉庫、そしてその中で勝ち誇るように咲く桜。

アイヌ犬たちがのんびり昼寝をしていた。