河合隼雄先生のこと

 今朝も早朝から寺の坐禅堂で座っていると、突然、先日亡くなられた心理学の大家、河合先生のことを思い出した。

 と言っても、先生とはお話をしたこともない。側でお仕えしたいと思いつつ、その機会もなかったが、高校生の頃から心理学、特にユングの心理学にのめりこんでいた私にとっては、青春時代に大きな影響を受けた。

 特に、和洋の童話、寓話の中から深層心理的な分析をされた上、人間、どのように生きるべきか、と深い示唆を下さった。先生が取り上げられた童話の中では、私はルーマー・ゴッテンの「ねずみ女房」の話が最も好きだ。

 森で捕らえられ、かごのなかに閉じ込められた鳥。その鳥と親友になったねずみは、その鳥から、未知の「飛ぶこと」のすばらしさを聞く。「飛ぶってどういうこと?」ねずみは聞くが、鳥はかごの中なのでそれをみせてあげることができない。そのうち、ねずみは、鳥を森に何としても返してあげたくなる。そしてある日、意を決してかごの柵をがりがりかじって鳥を逃がしてやる。そこで初めて、彼女は「飛ぶということ」を知るのである。

「ねずみは、鳥を空に返してあげたと同時に、親友を失ったのです。鳥は帰ってこない。でもねずみは、友人を帰してあげること、そして「飛ぶということ」を知る事ができて満足しているのです。」河合先生は、この童話をこのように説明し、そして続けるのだ。

「人間、何かを得ようと思えば、何かを失うものなのです。何かを本当に知ろうと思えば、痛みや悲しみを覚悟しなければならない」

 この言葉は、何もかも我が物にしたいと貪欲だった青春時代の私に、衝撃の一撃となった。そして、この言葉は、現在に至るまで自分の中に流れる思想に一つになった。

 ちなみに、ねずみ女房はダンナにこの話をするが、「そんな暇があればパンくずでも拾ったらどうだ」と一蹴されてしまうのである。目覚めた者と、目覚めていない者の違いであろう。この童話では、年老いた彼女が穏やかに日々を送りつつ、「何か他のネズミと違っている」ということで、孫やひ孫から敬愛されている、という話で結ばれている。

 ところでこんなこともあった。
 河合先生が倒れて、意識がない状態で病院におられた頃、出張中の飛行機内の雑誌で、偶然、河合先生のインタビュー記事を読んだ。おそらく、結果としてそれが元気な頃の先生の最後のインタビューになった記事になったものと思われる。

 インタビューのテーマは「旅」であった。インタビューの最後に、インタビュアーが、「先生、一人旅はお好きですか?」と聞いた。先生は当惑したように、「そういえば一人旅はしたことなかったですね。今度行きたいですね」と答えて、インタビューが終わった後も「一人旅ねえ」とつぶやいておられたと言う。その時、生死をさまよっておられる先生は、まさに一人旅に出ておられるのではないか、と思ったとき、鳥肌が立った。このたびお亡くなりになってしまったのは本当に残念なことである。