家族との時間

今朝はまた早起きに成功したので、1ヶ月ぶりに近所のお寺の早朝坐禅会に参加した。坐禅堂の前に並んでいると、楽しげな若い女性たちのグループがおしゃべりしながら寺の門から坂を駆け上がってくる。前回同様、初心者、特に若い女性が本当に多くなった。最近は若い女性達の間で坐禅がブームなのだろうか。そういえば、最近、初めて写経をしたが、そこでも若い女性達の多さに驚いたものだ。

坐禅堂に入って座る準備をしていると、若い女性が堂に入った作務衣姿で登場し、私の隣に座ってさっさと瞑想に入った。これにも感心。

その後帰宅して朝食。選挙の後、息子と車で海へ。早朝の海水浴場は渋滞もなく駐車場にもすんなり入れた。
普段は偉そうな口を利く息子が、背の立たない海で私の引っ張る浮き輪にしがみつき、しきりと嬉しそうに「父ちゃん、父ちゃん」と声をかけてくる。考えてみれば土日と言えどもお互い忙しく、こんな機会はめったにないことに気づいた。子どもは早晩巣立っていく。今のうちこそ、こういう時間を大事にしなければならない、と思った。

そのとき、数ヶ月前、職場の同僚達と飲んだ時のことを思い出した。
30代、40代の妻帯者、独身者、男女入り混じって6人ほどで冷酒片手に2時間、だいぶ酔いがまわったころ、結婚することはいいことなのか、という話題で盛り上がった。

「独身がやっぱり自由でいいよね」とまとまりそうだった話に私が、
「飛行機に乗っていて事故が起こり、何分か後に墜落するかもしれない、という情況になったらどうする? 誰かに手紙なんか書かないの?」 と食いついた。

「書きたいけど誰に書くのかな。いまさら親に書いてもしょうがないし」
「・・・・思いつかない。彼女かな。」
「友人・・・でもないしね。腹立つけどやっぱりダンナかも」

私にとっては「家族」。自信をもってのこの答え。

一同の結論は、「誰でもいいけど、そういう極限の時に手紙書きたい人がいないって、実は寂しい人生かも。」「そう考えると、自由な人生って一皮めくれば結構はかないかもね」一方で毅然として、「俺にはそんな相手要らない。欲しくもない」という人も。

私にとっては、仲が良くても悪くても家族は家族。かけがえのない存在である。もっと家族との時間を大切にしなければ、と痛切に感じた。