300年の時を越えて
朝夕、ひぐらしの鳴き声が心地よい。私は本当にこのひぐらしの鳴き声が好きで、この声を聞きながら夕べに自室で読書するのが至福のときである。また、明け方、浅いまどろみの中で、遠くからの「カナカナカナカナ・・」という涼しげな鳴き声を聞いていると、夢か現か幻か、判然としなくなり、何か自分が悠久の古人(いにしえびと)になったような錯覚に陥る。
そういえば、昨年、ちょうど初秋の、日差しがまだ明るい夕方頃、こんなことがあった。
近所の鎌倉時代から続く古寺の墓地を散歩していると、一目で子供のお墓と分かる、小さな小さな墓石が目に入った。
○○童女、という文字と、元禄○年、という文字が読み取れた。一瞬、おかっぱ頭の小さな女の子の姿が脳裏をかすめた。
元禄といえば、300年以上前。きっと小さな娘の死を悼んだ両親が建てたのだろう。きっと埋葬時は号泣し、それから生涯悲しんだことだろう。
娘の死を悲しんだその両親も当然今は亡いし、誰が両親だったかも分からない。
ただ、その時の両親の胸がつぶれるような悲しみが、300年の時を越えて、そこに具体的な形として存在している。そして私に迫ってくる。
そのときもひぐらしが鳴いていたような気がする。
この墓石もずっとその声を聞いてきたのだろう。
この先も、ずっとずっと、この季節になるとこうしてひぐらしが鳴くのだろう。
そうであって欲しいものだ。