大塚国際美術館に行く

 一度行って見たかった。すべてレプリカではあるが、世界中の名だたる美術品がいっぺんに見られる、という触れ込みと、レプリカだけの「美術館」と教育施設としての「博物館」との関係について考えてみたいと思っていたのだ。
 大阪から乗った高速バスを鳴門公園口で降りた。乗ろうとしたバスが満席で乗れなかったので、一本遅れのバスとなりそれだけで焦っていたのだが、バスを降りるなり、大鳴門橋のたもと、快晴の中で美しい橋と青い海、しかも名物の渦潮がセットになった光景を見ると思わず30分位見とれてしまった。もっと見ていたい気分を断ち切り、「今日は美術館」とつぶやきつつ、後ろ髪を引かれる思いで美術館に向かう。
 それにしてもでかい。渡されたパンフレットを読むと地下三階から地上2階まで、1000点以上の作品があるという。しかも時代ごとに選りすぐられた作品ばかりである。
 地下三階から出発。まず一番見たかった、「フェルメールの部屋」で「青いターバンの女」を見る。説明によると陶板模写は2000年以上オリジナルの色彩を維持できるという。見学者が絵に触ったり、自分と写真を並んで撮ったりしているのをみて、本当に驚いた。本物ではないからこんなことができるのだろう。だから、美術館には必ずいる、部屋の片隅に座って監視している人は、ここには誰もいない。ただ、やっぱり絵がつるっとしていて、少し興ざめである。やっぱり本物にはかなわない、なとど思ってしまう。
 しかし、広い館内を歩き回っているうちに、どんどん作品に引き込まれていく。ポンペイの作品群は見た事がなかったので、本当に興味深かった。紀元前のローマ人の表現力と発想の豊かさには驚くばかりだ。また、実は私は、辛気臭い中世の宗教画が、印象派の絵と同じくらい大好きなのだが、これでもかこれでもか、という位両方とも堪能した。
 息を呑んだのは、レオナルドダビンチの「受胎告知」を見た時である。なんという素晴しさ。マリアを真っ直ぐに見つめる大天使ガブリエルの真剣な横顔と、絵全体に溢れる生々しい緊張感が素晴しい。この絵、つい最近まで、東京の上野の美術館で実物を見られたのだ。複製でさえこんなに素晴しいのだから、本物はどんなにすばらしかっただろうか、と思うと見に行かなかった事が本当に悔やまれる。
 こんな発見もあった。レンブラントの「サスキアを膝に抱く自画像」を見たとき、レンブラントの妻サスキアの顔が、フェルメールの「ヴァージナルの前に立つ女」(この美術館にはなかったが)のモデルにそっくりだと思った。フェルメールレンブラントも同時代のオランダの画家である。ヴァージナルの前に立つ女のモデルは不詳とされているが、サスキアではないか、と素人なりの推理を働かしていると妙に楽しくなった。
 結局5時の閉館まで6時間、たっぷり絵を楽しんだ。こんなに長く美術館にいた事はない。たしかに本物はないが、それはそれで学ぶ事の多かった6時間であった。子どもが大きくなったら一緒にまた訪れたいものである。