息子とお祭り

 息子をお祭りに参加させるためにこの連休、わざわざ大阪に帰った。
今の自宅の地区では地域の人が参加するお祭りがない。小さいうちに、「お祭り」に自ら参加して、その熱気を体験させてやりたいと思ったのだ。

「お祭り」とは、私の生まれ育った大阪・泉州地域の「だんじり祭り」。ただ、私自身はだんじりを引いたのは小学校まで。中学校ではだんじりに熱狂する同級生を尻目に、まつりの期間中、家に引きこもっていた。私自身は、あの熱気が肌に合わなかったのだ。だから、息子を参加させても、私もかつての同級生に合わせる顔がないので、前の日記に書いたように、私自身は徳島の美術館に逃亡していたわけだ。

徳島から帰って息子に祭りはよかったか、と感想を聞くと、「普通」。来年も特に参加したいとは思わないようで、やっぱり私の息子だから仕方ないか、と思う。

私の自宅は地区のだんじりの収納庫の近くにあり、祭りが終わった夜も夜12時近くまで名残惜しげにだんじりの鐘や笛の音が聞こえた。両親によると、この時間、だんじりの収納庫の扉が開いたり、閉じたりしながら、若者たちが輪になって踊りながら名残を惜しむのだそうだ。感極まって泣きじゃくる若者も多いらしい。

私としては、そのような世界を嫌ってわざと距離を置いてきたつもりだが、そのような熱い体験に浸れる人たちを、実は羨ましく思ってきたらしい。そんな人間になりたかったのになれなかった、という屈折した思いがあるために、息子にはだんじりを引かせてみたい、という複雑な気持ちにさせたのかもしれない。結果として、私の願いはどうもかなわなかったようだが。

 息子の、この日のだんじりを引いた思い出が、若者達の掛け声や鐘や太鼓、笛の音とともに、彼の心の奥底に残ってくれることを期待しよう。