イルクーツクにて


バイカル湖から戻ってイルクーツク市内へ。

市内のアンガラ川に面した公園に行くと、鉄柵に多くのカギが取り付けられている。

「これは何ですか?」

とマリーナさんに聞くと、おかしそうに笑って、「結婚式の名所よ」と教えてくれた。

ははあ、結婚式で永遠の愛を誓い合ったカップルが、式の後ここで鍵をがちゃと掛けてお互いの結びつきを祈るのだろう。

私は一瞬、妻に鉄の手枷、足枷を嵌められる自分を想像してぞーとした。私の趣味ではない。

破たんしたカップルは、この場所に鍵を外しに来るのだろうか、と余計な想像をしてしまう。

雪解けの季節でアンガラ川が増水している。流れも速い。もう少し水量が増えれば河川敷にある家は水没してしまうだろう(写真下)。
実際、危ないのではないか。


その後、「デカブリストの家」に。18世紀の半ば、貴族の子息でありながら農奴解放や民主化を叫んで皇帝に反抗し、シベリアに流刑になった人たち。その夫を追いかけて多くの妻(もちろん、その多くが貴族の子女)が体一つでシベリアに来た、という美談が残る。実際、大変な生活だったことがしのばれる。もっとも、このヴォルコンスキーは、実家からの仕送りで結構裕福な生活ができたようだが、故郷のペテルブルクに戻ることは終世許されなかった。

「夕食まで少し時間があるわ。どうする?」と聞かれたので、少し気負って「日本人墓地に行きたい」と答えたのが、大騒ぎの始まりだった。

イルク―ツクは日本兵のシベリア抑留の時に捕虜収容所があった場所であり、墓地も必ずある、と思い言ったのだが、マリーナさんも運転手も知らない。

2人で知人や地元の旅行社に電話を掛けまくったり、通りかかった教会に行って聞いたりするがわからない。たまりかねて私が、もういい、忘れてください、というが、マリーナさんも運転手も、必ず探すから、と言って聞かない。ロシア人にとって、日本人のシベリア抑留には負い目のようなものを感じているのかも知れない。とにかく必死である。

ようやく、最も大きな市の共同墓地の片隅にあるらしい、と聞きこんで墓地に向かう。

何人か墓参の人に聞きながら、ドロドロの雪解け水をかき分けてたどりついたのは、何もない、ただっ広い白樺の林の中。慰霊柱のようなものがあり、花が供えられているが、字が全く書かれておらず、何の柱なのかもわからない。傍らには放置された動物の死体。ここじゃないよね、と2人で言いながら、あまりの不気味さに思わず逃げ出した。

墓地の管理人宅に行って聞くと、まさに我々が訪れた場所がそうだったが、数年前に日本の遺骨収集団が来て、日本に遺骨を持ち帰ったそうだ。そのあとは墓石も撤去されて更地になってしまったらしい。

複雑な気分になる。

望郷の気持ちを抱きながら無念にも亡くなった方々の遺骨が日本に戻されたのは、ご遺族にとってもとても良かった。ずらっと墓石が並んでいる風景より、ある意味、救われるのかもしれない。

ただ、私達が知らずに訪れたあの場所は、まさに英霊たちの血と肉が土に還っていった、ある意味で神聖な場所なのだが、あのまま、何事もなかったのように更地になってしまっていいのか、少し割り切れないものが残る。

マリーナさんは、「貴方が次に来るときまでにちゃんと探しておくからね」と慰めるように言ってくれるのだが・・・

そういえば200年以上前、漂流民、大黒屋光太夫一行も、帰国を待ちながら過ごしたのもこの街である。一行のうち、2人はキリスト教に入信し、現地の女性と結婚して残留した。

これを扱った井上靖原作の映画「おろしや国酔夢譚」は、私の大好きな緒方拳が主演していたこともあるが、素晴らしい映画である。ここイルクーツクでもロケがあったはずで、緒方さんもその時、日本人墓地の墓参をしたと聞いた。

凍傷で片足を失い、現地に残留した「新蔵」を、西田敏行が迫真の演技で演じていた。

取り残される者の悲しみ。

彼らがここで生きた証が何か残っているなら、是非訪ねてみたい。