シベリア鉄道へ
ハバロフスのスーパーで日本のカップラーメンやインスタントみそ汁などを買い込み、ハバロフスク駅に向かう。
12日からの三日はロシアの休日。仕事が終わったのでモスクワに帰ってもよいのだが、私はこの三日を利用してシベリア鉄道に乗ることにした。
シベリア鉄道。ああ、何と甘い響きだろう。
大正、昭和にかけて、多くの政財界人や、与謝野晶子、林芙美子ら作家が旅した。そして、戦後も多くの若者が利用した。
太田裕美の歌「さらばシベリア鉄道」を思い出す(〜♪哀しみの裏側に何があるの。涙さえ凍りつく白い氷原♪〜)
私も、これから始まるウランウデまでの2800キロ、48時間の旅に、何かを期待していた。青春時代に戻ったようなそんな胸の高鳴り。
ただし、それは、腕がはちきれそうになりながら、重いトランクを抱えてホームを走るところから始まった。
10時44分、ノボシビルスク行の「シベリヤク号」が入線した。4番線。のんびり駅舎にいたので、入線を聞いて、慌てて、仰ぎ見るような高い連絡通路を重いトランクを提げて登る。なんでこんなに高いのか、理由が分からない。
ホームの高さはほとんど地上と同じ。そこからトランクを列車に上げるだけで一苦労だ。
部屋に入って、誰が同室になるのだろう、できれば1人で占有できますように、と祈っているとスキンヘッドの若者が現れた。がっかりしながら、彼の荷物整理を手伝う。
「ビクトルだよ。よろしく。クラスノヤルスクまで行きます」
意外と礼儀正しいようで安心した。
列車が動き出した。
彼と話していると突然真っ暗になった。車内灯すらつかず、本当に漆黒の中を走って行く。
「トンネルだよ。アムール川の底を走っている」
アムール川は鉄橋で渡るものだと思いこんでいたのでがっかりした。
このトンネルはスターリン時代に囚人を徴用して秘密裏に掘られたもので、今だにどうして完成したのか、良くわかっていないのだという。きっと大勢の犠牲の上に完成したのだろう。
地上に出た時は本当にほっとした。
そこはもう何もない、ただただどこまでも広がる原野だった。