温かな人間のにおい

翌朝、気がつくと、9室、18名定員のこの車両は、私とビクトル以外、全員が下車してしまっていた。2人の乗客に2人の車掌。ビクトルと車掌はよく世間話をしている。

ともかくいけども行けども広大な原野。

線路脇に100メートルごとにキロポストがあり、モスクワからの距離が表示されている。ハバロフスク発車時8493キロ、下車予定のウランウデは5609キロ。その間、約2800キロ。四十八時間かけて走る。

廊下に立って、このキロポストがどんどん短くなるのを見ているだけでも楽しい。

列車はシルカ川沿いの美しい風景の中を走っている。

釣りをする人たち。

家族連れで、川辺で水浴を楽しむ人たち。

畑を耕す人たち。

バイクの横で女の子が立ちつくし、少年がエンジンをいじっている。故障したのか、日没は近い、早く直りますように。

放牧の羊を追う人。

駈けて行く馬。揺れるたてがみ。

点在する小さな村の墓地。

鉄道で殉職した人の墓だろうか。広大な草原を走っていると線路脇に小さな墓碑があった。列車は一瞬のうちに遠ざかる。

一時間以上、全く街や人影が見えない区間もある。
それにしても、時折現れる小さな村々では人々はどのように生計を立てているのだろうか。廃屋や廃工場、廃墟のようになった建物があまりに多いのに驚かされる。

そんななかで思うのは、このシベリア鉄道が人々にとって、貴重な頼りの綱だろう、ということである。特に冬、雪と氷に閉ざされた世界ではこの鉄道の存在は、ひとびとの生活ばかりか、心も支えているのだろう、と思う。

沿線の少女たちの間では、シベリア鉄道の車掌が憧れの職業、ときいた。たしかにそうだろう。

小さな駅を通り過ぎる時、駅舎の中では駅員が手旗を上げて直立不動で列車を凝視している。そして踏切では、踏切り番が列車の往来に気を配っている。

ほとんどが1−2分の停車だが、15分以上止まる駅もある。このような駅では、検車係が金づちを台車にあてて、カーン、コーンと反射音を聞きながらチェックしている。

私が感じるのは、この鉄道がそこかしこに放つ、温かい人間のにおいだ。日本の鉄道には失われてしまったものだ。

さて、列車は再び原野を走る。
果てしない草原。この草原の向こうは? また次なる草原だろう。

ロシア人のビクトルにとっても、このような景色は美しいと感じるらしい。さかんに美しい、という意味のロシア語、「クラシーバ」を連発している。(日本語でクラシーバは何と言うか、と彼に聞かれた。その後、彼は、窓の外を見て「キレイ」「キレイ」を連発するようになった)

食堂車に行って、夕日を見ながら夕食を食べ、景色を眺めていた。食堂車はいつもガラガラだった。値段が若干高いのは仕方がない。

日が暮れる直前、タルスカヤ駅からぐいっと分離して大きな鉄橋がかかり、支線が南に延びているのが見えた。

鉄橋の先はどこに行くのだろう、行ってみたいな、と思って地図を見ると、満州経由で北京までつながる大動脈、かつての東清鉄道だった。日露戦争の敗北で、ロシアはこの東清鉄道の権益を日本に譲り渡し、いよいよ、ここ以西のシベリア鉄道建設に本気になったらしい。

明日はいよいよウランウデに到着だ。

写真上 チェルヌイシェフスク駅のキロポスト。モスクワまで6586キロだ。
  中 点検に余念がない検車係
  下 食堂車のおかみさん