セメイスキエの村を訪ねて
昼食後は、18世紀に造られた、ロシア正教から分派した古儀式派の村(セメイスキー。「セミヤ」は家族の意)を訪問した。
200年以上、守られてきた彼らの独自の文化、言語はユネスコの無形世界遺産に指定されている。
村に到着すると、美しい民族衣装に身をまとった数人の一団が迎えてくれた。博物館での一通りの説明の後、食事。食べきれないほどたくさんあり、ジャムやはちみつはすべて手作り、野菜もすべて自家製という。
食事をしながら、一家のリーダー格のおばあさんからいろいろ話を聞く。
この一家はおばあさんの父親にあたるセルゲイさんが音楽隊のリーダーで、自分も楽団の一員としてこれまでアメリカ、フランス等への公演旅行も経験したというが、話がスターリン時代に及ぶと、それまで陽気に話していた彼女の眼から、大粒の涙がぽろぽろ流れた。
父親がいわれのない罪で刑務所送りになったり、父親が村に帰ってきたからも刑務所上がりということで苛められたり、楽団のモスクワ公演のメンバーから外されたり多くの辛酸を舐めたという。
「でも私たちには歌がありました」
と彼女は言う。父親は最期まで不満らしいことは言わず、村人から頼まれればいろんな仕事を引き受け、家の修理や畑の手入れ、もろもろの工作機械などはすべて手作りだったいう。父の工房を慈しむような眼でいろいろ説明してくれた。
そして、たった一人の観客、私だけのために歌を数曲、歌ってくれた。意味は分からないが、哀切のこもった、独特の節回しだった。
「また来て下さいね。今度は家族と一緒に」
日本人が来たか、と尋ねると、去年、団体さんが来た、彼らが持ってきた食料を食べさせてもらったが、とっても辛かった、と言った。きっと韓国人団体だろう。
歌謡も踊りも素朴だったが、それだけにかえって親近感が沸く。一緒に歌いたいような気持になった。
ウランウデは日本から余りにも遠い。しかし、できるだけ多くの日本人にこんな人たちに会ってもらいたい、そう思いながら、町に戻ってきた。
明日飛行機でモスクワに戻る。
そして私の旅も終わる。
写真 上 楽しい食事
中 歌
下 亡きセルゲイおじいさんの工房