バイカル湖畔の村

イルクーツク空港から、1時間、バイカル湖のほとりに建つリストピャンカ村のホテルにチェックインする。朝7時。モスクワ時間は午前2時で、そのせいかとても眠い。

部屋で2時間ほどまどろみ、起きだして明日からの会議の資料の下読みや自分の発言メモをタイプしたりしていたら、外を少し歩きたくなった。

小雨の降る中、まず向かったのが日本人墓地。

道路から墓地入口まで板張りの通路が敷かれているが、積雪していてつるつるすべる。

ロシア人墓地の一角に、慰霊塔があり、この地に抑留され、日本に帰ることなく亡くなった60名ほどの埋葬者の名前が刻まれている。ロシア語の名簿から書き起こしたものだろう、すべてカタカナである。「友よ安らかに」と墨で描かれた木の碑が立っている。個々の墓標はない。日本に持ち帰られたのだろうか。

あたりはロシア人の墓地。ほとんどが写真入りの大きなものだが、ロシア正教の十字架の墓標だけだったり、土が盛られただけのものもある。厳寒期の埋葬は、土が凍っていて墓が掘れない、と聞いた。

小雨の中、雪景色の墓地に立って、村を見下ろしていると、わけもなく寂寥感に襲われた。

村の中の建っているニコリスカヤ教会を訪ねる。シベリア風の木組みでつくられた質素な教会である。150年ほど前に建てられたという。

聖母子のイコンの前に佇みながら、先ほどの日本人抑留者の方たちもここに来たことがあったのだろうか、そうだとすると、この静寂と何かに包まれているようなこの教会でさぞ癒されたのではないか、なとど考えていると、突然何か激しい思いがこみ上げてきた。

イカルのほとりのレストランで、バイカル名物、オームリの燻製を食べてみる。鱒をそのまま焼いたような素朴な味だった。

写真上 墓地入口の通路
中   慰霊碑
下   ニコリスカヤ教会