蒼い湖面を航く

バイカル湖をフィールドにしている研究所を訪問し、打ち合わせること2時間、今後の協力の強化を誓い合って席を立とうとしたら、研究所長が、「船に乗って行かないか」という。

聞けばこの研究所のバイカル湖の調査船の船が夕方、調査のために出航するらしい。

「ほんとうにいいのですか?」と聞きつつ、船が大好きの私としてはこの幸運に心躍る気持ちだった。


研究者と一緒に埠頭に向かう。

小さな研究船だが、ひと通りの研究装置は揃っている。

水深1000メートル近くの水や泥を採取できるウインチ。

イカルは最深部は1600メートルある。それはもっと大型の研究船で調査するらしい。

操舵室に上ると、岸から100メートル位しか離れていないのに、深度計は350メートル。ほとんど岸から絶壁に近い形で深くなっているようだ。

右側にかつてのシベリア鉄道の旧道を見ながら船は進んで行く。

シベリア抑留を経験した石原吉郎の本に、「どこに連れて行かれるか分からないまま貨車に押し込まれ、何日か経ったときに海が見えた。日本海だと思ってみんな喜んでいたら、バイカル湖だと気づいた。このときの絶望感は忘れられない。日本とは逆の方向に進んでいたのだ。」といった趣旨の文章があった。

抑留者を絶望の底にたたき落としたバイカルは、今は夕方の陽を受けてきらめき、凪いだ湖面は鏡のようだ。

イカルは端から端まで600キロ。しかも大変に深い。世界中の淡水の何分の1がここに集まっているらしい。数100本の川が流れ込んでいるが、流れだしているのはアンガラ川一本。やがてエニセイ川になり、数千キロを下って北極海に注ぐ。

頂に白いものをまとった周囲の山々が美しい。近くの山は黄金のように色づいた葉っぱをまとっている。あと十日ほどで真っ赤になるだろう。

それにしても寒いな、と思っていると、船室から声がかかった。

温かい魚スープができたのでどうぞ、とのことである。

炊事係の若い女性船員がオームリのスープを出してくれた。素朴な味だ。サラダもなかなかいけるではないか。

とってもおいしいよ、と言うと少しはにかんだように笑う。

研究者や船長も集まって愉快なひととき。

初めてのバイカル湖の航海。

また来ることができるだろうか。

写真上 船上にて
  中 旧シベリア鉄道。今は観光客向けの列車が週末だけ通る。岸から100メートルほどしか離れていないが、ここで水深は300メートル以上ある
  下 船の炊事係さん