シエナで考えたこと

ポンペイからローマに。あわただしいローマ観光で旅は終わった。

旅の間常に持ち歩き、そのとき感じたことを書き留めたメモ帳を見直すと、シエナのことを書こうと思い立った。

城壁に囲まれた、中世そのままの街、シエナ。特に、カンポ広場に面した市立美術館は、特にいろいろ感じ、考えたところだったのだ。

確か、法王アレクサンドル三世伝を見ていたときだと思う。アレクサンドル三世の人生の中で起こったハイライトが何枚か描かれていた。

それを見ながら思いついたのは、もし自分が後世こんな絵を描いてもらうとしたら(全く荒唐無稽な空想だが)、人生のハイライトとしてどんなシーンが選ばれるのだろう、ということ。


例えば7枚選ばれるとしたら、
1.出生、2.小学校入学、3.就職、4.結婚、5.息子の誕生、6.退職と第二の人生、7.臨終 かなあ。

でも何となくこれ、ハイライト、というより単なる節目節目。


本当の人生のハイライト、とは何なのだろう。

後世に残るような大仕事の成就、人生を左右する大きな出来事、命をかけた闘争や和解、大恋愛の成就あるいは破局、人生で最大の怒り、大いなる絶望・・・

そんな場面があったとしたら、その瞬間、自分の網膜に焼き付けられた景色は、一生忘れられないシーンになるはずだ。

しかし、そんな絵を自分は持ち合わせていないことに気づく。
それは平穏で幸福な人生を送っている証ではあろうが、何となく物足りないような気がしないでもない。
いざこの世にサヨナラ、という際、頭の中をよぎっていく劇的な絵が、自分の場合あまりにも少ないのでは?


考え事をしながら美術館内で歩を進めると、その一角だけあきらかに空気の違う、厳かな礼拝堂があった。

正面にはソドマの筆による「聖家族」。いろいろ聖家族の絵をみたが、この聖家族が一番しっくりくるなあ。

そして周りを取り囲む、寄せ木細工の聖職者席。ドメニコ・ディ・ニッコロにより、1415年〜1428年にかけて造られたという。日本だと室町時代、600年前の作だ。

礼拝堂の真ん中で目を閉じ、両側に、威厳を備えた衣装に身を固めた聖職者達がずらっと並んでいる雰囲気を感じてみる。

これが私の場合、歴史的な建物や美術品と対面する時の最大の楽しみだ。イマジネーションは時空を自由に旅できるから、あっという間に自分も中世人になれる。そうなると、何となく自分も聖職者になってミサに参加している気分になってくる(傍から見てアブナイ人に見えないように一応注意はしているが・・・)。


1人で中世の気分に浸りきっている私を置いて、妻子はずんずん歩いていき、どこに行ったかわからなくなってしまった。

探しまわって屋上にあがる階段を上る。

昇りきると、中世の赤い屋根の波が視界に飛び込んできた。


こちらに背中を向けて、周りの景色を眺めている2人を発見した時はほっとした。

それは、この時代に生まれ、彼らと出会えてよかった、という安堵も交っていたような気がする。

まあ、これまでも、この先も、ハイライトはないかもしれないが、それはそれで良しとするか。