リバディア宮殿

バフチサライのハーンの宮殿から車で十分。絶壁にへばりつくように建っているウスペンスキー寺院は、これまた神聖な雰囲気たっぷりな場所だったが、ちょうどミサの真っ最中で多くの信者さんが出入りしていて、静かに寺院を見学することはできないった。もちろん、寺院は信者さんのためにある。残念だが仕方がない。

車で1時間。ものすごい山岳地帯を抜けると、黒海が見えてきた。

山が海沿いまで迫っているせいか、幹線道路は山岳地帯を走っていて、おかげて海が良く見える。

対岸はトルコの筈だが、何も見えない。

ヤルタに到着し、海岸近くのブリストルホテルにチェックイン。

翌朝は良く晴れた日だった。

昨夜のうちにホテルに頼んで、ガイドと車を手配しておいてもらった。

午前中、アルプカ宮殿を見学、午後は念願のリバディア宮殿に。

ここは第二次大戦末期の1945年2月、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連スターリンの3巨頭が集まり、戦後処理について話し合われた場所。千島列島の帰属も話し合われたという点で、日本にとっても重要な場所だ。

ソ連領だったので、スターリンがホスト役だったが、米英を分断するために米国と英国の宿所を遠く離れた場所に設置するなど、スターリンがいろいろと細工したらしい。

不治の病に侵され、すでに余命いくばくもないことを知っていたルーズベルトは、一刻も早い戦争終結のためにソ連の対日参戦を促し、足元を見たスターリンは、「千島、樺太ソ連領にできるなら」と取引した、と言われている。

国の指導者の健康状態も、このような重要な局面では重要なのだと思わざるを得ない。後世、ブッシュ大統領に、この時に結ばれた「ヤルタ合意」は、間違いだった、と指弾されることになる。

ポーランドの帰属もこの時の重要な議題で、東西冷戦体制が決定的になったのも、このヤルタ会談だと言われている。

65年前に世界の命運を決したこの場所。

白い宮殿は、まるで何事もなかったかのように、春のやわらかな陽射し中で、観光客たちの被写体になっていた。

私もその中に交った。

宮殿の前では、アイスクリーム売りのおばさんがのんびり雑誌を読んでいた。

写真 上 ウスペンスキー寺院
   中上 リバディア宮殿
   中 ヤルタ会談の参加者を示したプレート
     スターリンルーズベルトチャーチルの順番で記されている
   中下 会議場
   下  リバディアでの三巨頭