「沖縄の島守」を読む

かなりの大著であるが、年末年始に一気に読破した。

太平洋戦争末期、危険を感じて逃げてしまった前任者に代わって、沖縄県知事に任命された内務官僚、島田叡氏と、彼を支えた沖縄県庁の荒井警察部長という2人の内務官僚を描いた物語。ことさらに2人を伝記的に美化したものではなく、関係者の証言を丹念に積み重ね、知事が渡り歩いた防空壕の位置、同行した部下など、2人がどのような仕事をし、そして最期を迎えたかを克明に記録できたのはさすが、新聞記者であった著者の腕前だ。

いろいろ感じたことを思いつくままに挙げる。

戦時下、県庁の建物が破壊されてからも、職員が地下壕にこもり、その中で行政が維持されていたことに驚嘆した。すごいことである。

旧日本軍の非道。日ごろから沖縄県民をスパイ呼ばわりし、進退きわまった最後には刃を向けて地下壕から住民を追い出し、敵軍の砲火のもとにさらした。自分たちが壕に隠れるために。これでは沖縄県民にとって、敵は米軍ではなく、日本軍ではないか。

さらに、沖縄戦で軍民二十万人以上が犠牲になったこと。生き証人たちが表現する戦争はまさに地獄絵だった。これまで沖縄戦のことをあまり知らず、むしろ、御題目としての「反戦平和」に嫌気して、意識的に遠ざけてきたほどだが、そんな自分の無知を恥じたいと思う。

そして、何と言っても、「死ぬとわかっていても、自分が任命されたのだから。死ぬのは嫌だと逃げるわけにはいかん」と言って、沖縄赴任を受け入れた島田氏の姿勢に打たれた。着任後、県民の犠牲を最小にすべく、本土への疎開の推進するなど、県民のための行政を推進するが、果たして、彼は赴任後一年もたたないうちに帰らぬ人となった。

島田氏の場合、別に沖縄行きを志願したわけではないが、命令を従容と受け入れ、家族の大反対にもかかわらず、赴任地に向かって行った。そして、前任者がそうだったように、いくらでも本土に長期出張する口実は付けられたのに、それをせず、最後まで沖縄にとどまった。砲弾が飛び交う中でもあちこちに実情視察を怠らず、路傍で戦死した県民に会うと、いちいち立ち止まり手を合わせていたという。

人間には運命というものがあるのだな、と思う。どんなに汚い手を使っても生き延びることはできる。だが、そうしない人もいる。自分にそうすることを許さない人が。そして、それが運命であり、自分の使命であると感じた時、人は気負うことなく、危険に立ち向かうのだろう。

島田氏も荒井氏も、遺体もなく、どこで亡くなったかすら分からない。

今度沖縄に行ったら、彼らが最期に足跡を残した摩文仁の丘を訪ねてみようと思う。