4月22日〜5月5日 家族との時間を慈しむ

前半のGW、27日夜に鎌倉に戻り、30日の朝に札幌。連休の狭間の仕事を札幌でこなす。

そして再び5月2日に機上の人になり大阪へ。初めてのPEACH航空で大阪まで1万円。

沖縄在住の末弟一家、さらに大阪の弟、そして父母とともに時間を過ごす。

父と母、弟一家と貝塚市の蕎原にある、廃校利用の温泉施設「ほの字の里」へ行き、露天風呂を楽しむ。

父の背中を流し、頭も洗う。

弟が手伝おうとして近寄ってきたが、私が一通り全部し終わっていた。

後悔した。

せめて洗髪だけでも弟に残してあげればよかった。

弟も父の体を洗ってあげたかったのではないか。なのに、全部自分がその特権を横取りしてしまった。

父とは少し会話が噛み合わなくなってきた。3分前に話したことをもう忘れている。心配だな、と思っていると、
露天風呂の受付に座っていた女性が、父に「先生」、と声をかけてきた。

父はこの学校が廃校になる前、この学校の教員だった。彼女は教え子なのだ。

父は、「失礼ですが、どなたでしたか?」と彼女に訪ね、彼女が自分の名前を名乗ると、父はたちどころに同級生の名前を数名挙げ、「その学年やなあ」と言った。彼女は、「成績も良くなかったのに覚えててくれて嬉しいです。」と応じた。

私はびっくりした。私の話は3分前の話も忘れているのに、何十年も前の教え子の名前がスラスラでてくることに。

昔の記憶、というのはきっと格納場所が違っているのだ。

昔の記憶、自分が何者であるのか、そして自分のどこで、どうしてきたのか。それは自分の歴史であり、本人にとって、自分が何者で在るかを示す大事な記憶だ。それはきっと日々の雑事とは違う、大切な場所にしまわれているらしい。

母が駅まで送ってくれたが父も同乗した。そして、車から降りる際、ぎゅっと私の手を強く握り締めた。

このようなささいな一瞬一瞬が、父にとって、母にとって、そして自分にとって歴史になっていくのだ。

そんなことを考えながら、新幹線で大阪から鎌倉に帰ってきた。


話は変わるが、昨日の新聞で偶然、


ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ


という細川ガラシャの辞世の句を知って感動した。

散りどきを心得てこそ、花は花としての、人は人としての価値がある、という意味であるが、「散る」を「死」と考えなくても、これからの自分の人生にとって大切なことを教えてくれているような気がする。

戦国の世を生きた武家の女性の息詰まるような覚悟、そしてその毅然とした後ろ姿に心惹かれた。