7月16日〜21日 友と語らい、未来を想う

金曜日、土曜日と遠来の客。とちらも若い頃からお世話になっている職場の元上司と同僚。

気がつくと日ごろ胸の奥に溜め込んだものをこれでもか、と吐き出している自分に気づいた。

愉快な話ではなかったかもしれない、と思うと申し訳ない気がする。

気がつけば、仕事に就いてあっという間に四半世紀の時間が流れている。残された時間をどう生きるのか。

忙しくて新聞も読めなかった1週間。土曜日にまとめ読みしていると、白石一文による毎日新聞の連載小説「神秘」の一節が目にとまった。(普段この小説は読まないのに、たまたま目に止まった。不思議なものである)

以下、引用してみる。

ホスピスで働くオーストラリアの看護師が、死ぬ間際の患者たちが口にした"後悔"をランク付けしたという記事をずいぶん前に読んだことがあった。

ベスト5はこんなふうだったと思う。

1.自分自身に忠実に生きればよかった。
2.あんなに一生懸命働かなくてもよかった
3.もっと自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった
4.友人関係を続けていればよかった
5.自分をもっと幸せにしてあげればよかった

(中略)一番しっくりきたのは、二位の「あんなに一生懸命働かなくても良かった」だ。会社から離れてみて、あまりに多くの時間を仕事に奪われてしまったと私は後悔している。(引用終わり)

私もこの小説の主人公と同様、自分だったら、と考え込んでしまった。この小説の主人公は、すい臓がん患っており、死と向き合わざるを得ない環境にいるわけで、私とは大分違うが。

私も2かも知れない、と思う。ただ、少し違和感がある。仕事で一生懸命に働くことについて、私は正しいことだと思う。
身を削るような思いで仕事に向き合い、それなりに世の中のためになる仕事をしてきた、という自負もある。もっと遊びたかった、自由を楽しみたかった、という気持ちは持っていない。

私が暗澹たる気持ちになるのは、仕事の非効率性や制度上やむを得ない理由により、これまで浪費せざるを得なかった
膨大な時間である。

勤め人とである以上、仕事は自由に選べるわけではいが、それでも、同じ時間で、もっと世の中のためになることがいろいろできたのではないか、と思う。

失った自分のかけがえのない時間と健康を考えると、これで良かった、とはなかなか言えない。

一方で、これ以上の選択肢があったのか、結果的にはこの道で正しかったのだ、と矛盾した気持ちも思っている。

ではこの先はどうか。

なかなか期待通りにはいかないだろう。

結果的に流されるとしても、自分の人生の時間をどのように使っていくか、について、いつも関心を持ち続けていたいと思う。

今日の小樽はカンカン照りだが、風が心地よかった。

既に小樽の「猫道」を極めつつある私。

人家の裏の小道を歩いていくと、予想通り高台の駐車場が見えてきた。

目指すカフェはもうすぐだ。