7月22日〜8月9日

なんと、前回の更新から3週間も経ってしまった。これでは週刊日記とは言えない。

忙しい、忙しい、というのもだんだんバカバカしくなってきた。
もうこの3週間、何をやってきたかあまり思い出せない。

とにかく朝帰り、深夜帰りが多かった。そのくせ、週末小樽通いだけは欠かさず・・・
全く、忙しいんだか、余裕があるんだか・・・・

特筆すべきは、3日に家族がやって来て、一緒に行った今金町の奥美利河温泉。

原生林に囲まれた一軒家で透き通った38度の湯船につかりながら、妻と息子と共に満天の星を1時間半も眺めていた。

流れた流星3つ。

途中、洞爺湖温泉で、火山被害遺構を訪ねた。

1キロほど上流で火口から噴火、火山灰が押し寄せて一階部分が完全に埋まってしまった町営銭湯と町営団地。幸い死傷者はいなかったらしいが、自然の猛威だ。最上階のベランダでは、取り残された植木が成長したのか、巨木が天に向かって伸びていた。部屋の中からも木がガラスを割って伸びている。こちらの方の自然の力もすごい。そうして、何十年、何百年かけて、自然に還っていくのだろう。

奥美利河温泉で泊まった翌日は、国鉄瀬棚線の廃線跡を探索した。

あちこち道に迷いながらやっと発見した旧神丘駅跡。

こんもり盛り上がったホーム跡が一面の畑の中に浮かんでいた。

伸び放題の植栽。

線路は一直線の農道になっていた。敷石とか、犬くぎとか、鉄道遺産らしきものがないか、と探したが見当たらない。

ホームの脇に佇んで、ここで汽車が発着し、乗客が乗り降りしている姿を想像した。

ここにSLの汽笛か鳴り響いたこともあったのだろう。

ごく当たり前のように存在していた鉄道が消えてしまう。

そんなこともあるのだ。

鉄道がなくなり、線路も剥がされ、もともと何事もなかったかのように時間が止まっている。

旧美利河駅の近くでは、鉄道建設で犠牲になった13名を悼む慰霊碑があった。

囚人として「タコ部屋」と呼ばれる強制労働組織に送り込まれ、鉄道建設で命を落とした人々。

路傍に埋葬されていたが地元の有志が掘り起こして埋葬し直したもの。

瀬棚線開通50周年を記念して建てられた碑だが、その10年後、鉄道自体もなくなってしまった。

13名が命をかけて建設した鉄道。その鉄道もいまはない。

どうしても写真が縦にならない。なぜなんだ???