もりだくさんの年末年始

27日、てんこ盛りの仕事と忙しく立ち働く同僚たちを振り切って、14時05分発大阪行きのトワイライトエクスプレスの車上の人となった。ホームに駆け込んだのが5分前で、旅情に浸るまもなく発車。シングルツインという個室のB寝台に陣取り、何も考えることなく、ぼんやりしながら飛んでいく車窓を眺めていた。やっと手に入れた自分だけの時間。

東室蘭あたりで陽はとっぷり暮れた。特急のくせにもっと早い特急に抜かれるためによく待避線に入って通過待ち。そのたびに名も知らぬ小さな駅のホームをぼんやりと眺める。

小幌駅を見ようとして見過ごした。部屋に運ばれてきた夕食を5時位に食べると猛烈に眠くなった。前夜はぼ徹夜だったせいか、そのまま眠り込んでしまう。

深夜目が覚める。秋田あたり。空が澄み渡り、カシオペアが列車に伴走していた。
いいなあ、と思っているうちにそのまま寝てしまう。

朝五時半ごろ目が覚める。12時間近く眠ったことになる。4時40分に新津停車のはずなので、もうすぐ日本海かなと思っていると、新津。1時間近く遅れていることに気づく。

柏崎あたり、猛烈に荒れ狂う日本海を見ながら朝食。青海川。ほとんど列車が波をかぶるような間際。強風でのろのろ走る。遅れがさらに拡大する。大阪から接続する高速バスの変更などを行う。金沢で特急サンダーバードに乗って先を急ごうかと思ったが止めた。

敦賀で機関車を付け替えたりしてのんびりしている。今庄あたりはすごい雪だ。
車掌の車内アナウンスによると、大阪駅到着は1時間59分遅れの予定とのこと。2時間以上遅れると特急券が払い戻しになるので、意地でもがんばって2時間以内に収めるらしい。心持、列車が早くなってきたように感じる。

結局、大阪着14時54分で2時間1分延着。

妻とハービス大阪で待ち合わせ、徳島行きのバスに乗り込む。
鳴門公園口で降りたら旅館の車が迎えに来ていた。

翌朝は鳴門公園を散歩し、いよいよ大塚美術館へ。2度目の訪問だ。

世界中の名画(全部複製だが)見て回る。これはまた別に書こう。

夜は神戸のポートピアホテル。三宮のお好み焼き屋で夕食。

こうして30日の午後、大阪の実家に着いた。

実家には2日のお昼まで滞在したが、障子のはりかえ、正月用品の買い物、お墓参り、初詣など、忙しく過ごした。おせち料理材料の買い物がてら実家が蒲鉾店の友人を店に訪ねると、彼も帰省して店を手伝っていて、ゴム長をはいて配達に出かける直前だった。彼、名だたる会社の人事課長だがこうしてみると、まったく商店街の蒲鉾屋の旦那そのもので楽しい。人間というのは1人何役も演じられるものだなあ、と思うと同時に、果たして自分はどうだろう、と思ってしまう。友人の父上は80才を超えている由だが、かくしゃくとして寒風ふきすさぶ店頭に立ち、重い蒲鉾の箱を担いでいる。私にとって、今の職場と地位がなくなったときに、居場所はあるのだろうか。

空き時間はとにかく眠い。一年の睡眠不足が一気に噴出した感じ。それにしても、パーキンソン病の父が年々衰えているのが寂しい。いろいろ忙しく過ごしそれ以外は寝る、という生活であっという間に鎌倉に帰る日になってしまう。

いままで3年連用の日記帳をつけていたが、迷った挙句、5年連用のものにした。真っ白な日記帳の余白を見ながら、今後五年の間にここにはどんなことが書かれるのだろう、と思う。希望というより、恐れおののく感じである。

今年は自分の仕事を見直そうと思う。大学という職場にいる間に、自分の可能性をとにかく広げようと遮二無二突っ走ってきたが、少し疲れた。弱いところを克服しようとするのもよいが、もう少し、自分の強みを伸ばすこと、本当にやりたいこと、そして自分の人生のミッションは何なのかを突き詰める時期に来ているのかもしれない。