悼むということ

先日、仕事の関係でお世話になっている方のご家族に御不幸があり、葬儀に参列した。
亡くなられたのが大学を卒業されたばかりのお嬢様で、同級生たちの嗚咽が聞こえる、非常に悲しい葬儀であった。

私が記憶している最初の葬儀は13歳のとき、私の祖父の葬儀であったが、自宅で行われたこともあり、出棺前の光景は今でも鮮明に覚えている。中でも、祖母が、蓋が閉められようとする棺に取りすがり、「いや、いや」と駄々っ子のように泣いていたのは、今思い出しても悲しいが、祖母にとって、その時間はかけがえもない、大事な時間だったはずだ。

葬儀というのは、心の中で愛する者との別れに折り合いをつけていく、最初のプロセスである。その意味で、残された生者にとってこそ、重要な時間だろう。

昔、通勤電車の車内広告で見つけたどこかの葬儀会社のコピーがいいなあと思ってその一節を今でも憶えている。


・・・行き場のない想い、追憶にさまよう
結局たどり着いたのは
同じ時間をともにできた喜び・・・


実際人を悼むときに、ここまで達観するのは難しいと思うが、そう考えると、人間の生々流転も人とのつながりの中にこそ意味があり、生きる気力が改めて湧いてくる気がする。