夕陽を見ながら考えたこと

朝から持ち帰り仕事を自宅でこなしていたら、さすがに夕方には煮詰まり、小坪のカフェに夕焼けを見に行った。

ツルベ落としのように落ちる冬の夕日を見ながら、毎日、夕日を見に犬を連れて近くの里山に出入りしていた中学生のころを不意に思い出した。

将来に対して、溢れるような期待と、不安を抱きながら、夕日と対峙していた。

あれから35年経ったのだな。

一緒に駆け回った犬もとうに亡く、その犬の亡骸を埋葬した里山は、宅地造成されて山ごとなくなってしまった。

15歳の時とは全く違うが、今の私にも希望がある。

15歳の、全く将来がどうなるか分からないが故の希望ではなく、これまでの人生の経験を踏まえて、これからの人生を具体的にどうしたい、という希望。

「人生が自分に何を与えてくれるか期待するのではなく、自分は、自分の人生から何を期待されているのかを問え」というフランクルの言葉をかみしめたい。