日本死の臨床研究会年次総会に参加する

札幌で開催された2016年度の日本死の臨床研究会年次総会に参加した。

会員になって初めての年次総会参加であったが、生と死について、2日間様々に考えを巡らせることができた。

印象に残ったのは、
〇日本のホスピスのパイオニアとして、数千の看取りに立ち会ってきた淀川キリスト教病院名誉院長の柏木哲夫先生が語られた、死を迎えるにあたっての「和解」の大切さ。なぜ自分が死ななければならならないのか、という自分との和解、関係をこじらせた家族や友人との和解、そして超越者との和解。これらとの和解が出来るかどうかが、穏やかな死を迎えることが出来るかどうかを大きく左右する。

〇宅老所よりあい村瀬孝夫氏の、一人の「呆け老人」の看取りを通じた施設職員の学びを通じて、呆けても最期まで生ききる「命の寿ぎ」(氏はあえて「認知症」という言葉を使われなかった。呆けるのは認知症という病気ではなく、老いてきた人として自然な「現象」であるとの考えだ)

〇浦河の「べてるの家」理事長の向谷地生良氏の語った、統合失調症患者との「当事者研究」の凄さ(自分の病気を客観化して、「研究」対象として患者に研究させるというのは凄い。どんな時に「幻聴」さんがやってくるのか調べてみよう、とか)

〇多くの子供たちを看取ってきた小児科医、細谷亮太氏の話から感じた、人生の質は時間ではないこと、子供たちのよりよい生を支援する取り組みの大切さ

浄土真宗の僧として、病院での末期患者のベッドサイドでの傾聴活動をされている長倉伯博氏が語った、患者と傾聴者の関係は「逝く人とこの世に残る人」でなく「先に逝く人と後に逝く人」の関係である、との言葉


さらに、若い看護師さんたちの事例研究会を傍聴した。

快癒する見込みがほとんどない中で、奇跡を信じて苦しい抗がん剤治療に取り組み、最期まで苦しみ続けた20代の若い女性のケースが紹介され、医療者としてこれで良かったのか、どこかで治療をやめて緩和医療に移行するギアチェンジを促すべきではなかったか、と治療にあたった看護師さんから問題提起があった。

「最期まで戦うのもその人の生き様、その人らしさで、それを支援できたのだからいいのではないか」、

「野球の試合で9回裏10対1という絶望的な試合でも最後まで懸命にみんな応援する。それと同じ」

といった議論を聞いていると、終末期医療に携わる方々の真摯な姿勢に頭が下がる思いがした。

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