次は自分だ

父を亡くした。
死の知らせを受けて家族を連れて慌ただしく大阪に戻り、通夜、告別式に臨んだのが1か月ほど前。

長いこと寝たきりで、秋になってからは医師にもう長くないと聞かされていたので、覚悟はしていたし、亡くなる一週間ほど前には日帰りで大阪に戻り、病室で父の手を握り、これまでの感謝を伝えた。
いつもは寝ているだけで、ほとんど意識のない父だったのが、この時だけは手を握っている2時間ほど、じっと目を見開いて私の話を聞いていてくれた(ように見えた)。病室を辞す時もなかなか手を解いてくれなかったほど、強く握っていた。今から思うと、もっと長く手を握っていればよかった、と悔やまれる。

葬儀に参列してくれた高校時代からの、60年来の父の友人は、高校に入学したときに父と一緒に撮ったという写真を、棺に入れてくれた。入学してすぐ意気投合し、「君とは一生の友達でいたい。一緒に写真を撮ろう」と強引に父に写真館に連れていかれたらしい。その言葉どおり、こうして葬儀に至るまで父の友でいていただき、写真まで大事にとっていただいていた。おとなしい性格だった父にも意外な一面があったことを知ったが、縁というのは不思議なものだ。

実は通夜の日は、担当している法案の国会審議の当日という、私の30年ほどの仕事人生の中でも、その重要度において1−2を争うほどの大事な仕事の日だった。しかも私はその責任者の一人。同僚たちが徹夜で奮闘している中、放り出し、すべてを同僚に任せて大阪に戻ったわけだが、夜だけでもいったん東京に戻り、答弁作成を手伝おうか、と真剣に考えていた。私人生の一大事と、仕事の一大事が一緒に来るとは。結果的には同僚たちのおかげで、私は父との夜伽をこなすことができたわけだが。

斎場で、父の遺骨と対面したとき、ああ、これで本当に父はいなくなったのだ、という思いと、次は自分だ、という強烈な思いが私を襲った。父と私との年齢差は30歳。これは私の30年後の姿かもしれない。仕事を始めてから約30年はあっという間だったから、これからの30年もあっという間だろう。しっかり生きなさい、と父に言われた気がした。