寿福寺のお墓巡り

近所の寿福寺の墓地を散歩。観光客に北条政子源実朝のお墓を案内していると、俳人高濱虚子の45歳年下の愛弟子、結核で29歳で逝った森田愛子のお墓を見つけた。実はずっと探していたのだった。
療養のために鎌倉を離れて福井に帰郷した愛子を虚子が訪ねる。2人の前に虹がかかり、「虹を渡って鎌倉に行きませう。今度虹がかかる時に」という愛子に、虚子は、「虹たちて 忽ち君の在る如し 虹消えて 忽ち君の無き如し」と詠む。
愛子の小さなお墓は、虚子のお墓の数メートル先にあった。周りのお墓がみんな山を背に南を向く中、愛子のお墓だけは虚子をじっと見つめるように、1人だけ山側の虚子のお墓を向いている。死の直前、愛子が虚子に送った電報は、「ニジキエテ スデニナケレド アルゴトシ アイコ」。死せば虹がなくとも自分は師のそばにいつもいる、という意味か。切ない歌である。
一方で、彼女のお墓を誰が立てたのかも気になる。もし虚子だとしたら、景色が全く違って見えるかもしれない。

川上弘美著「あるような ないような」(中公文庫)から一部引用しましました。